インド訪問――デリーとムンバイで核・経済問題を議論
今日はインドのお話を少ししたいと思います。
1月2日の昼頃成田を発って、夕方インドに着き、3日は首都デリー、4日は経済都市であるムンバイ(旧ボンベイ)に行き、5日の朝に成田に帰ってきました。
非常に短い期間でしたが、多くの人に会い、有益な意見交換ができたと思います。駐インド大使はじめ関係者の皆さんのご協力に対して感謝申し上げたいと思います。
まず、私が首都デリーで各政党や政府の人たちと会って申し上げたことは、詳しくはまた後ほど別の機会に申し上げたいと思いますが、1つは日本でいま政権交代が起きる可能性があるということ、そして、その際にも日本とインドの経済的あるいは政治的な深まり、その基本的なスタンスは変わらないということが1つ。
その上で、第2にインドの核の問題、特に核保有国となったインドが米国との間で進めつつある、米印の産業協力協定、つまり、原子力の平和利用に関する協力協定についていろいろ議論をしてきました。この点はかつて予算委員会でも私が取り上げた問題です。
いま、インド政府はこの原子力協定を進めたいということですが、連立政権の中にも反対する声があり、最大野党であるインド人民党(BJP)も反対しています。
その理由は、この協定があまりにもインドの手を縛りすぎるという観点からの反対です。他方で、私も書記長にお会いしたインド共産党は、インドの核武装に対して疑問を投げかけている、そういう状況にあります。
インド側の説明は、1つは歴史的な説明です。かつてインドと中国が国境紛争を抱えた時期がありました。そして、そのインドと中国の国境をめぐる紛争の直後に中国が核実験をした。そういう状況の中で、インドとしても核を持つことを目指さざるを得なかった。もう1つの隣国であるパキスタンも核開発をしていたということもある。そういう歴史的な経緯が1つ。
そして、もう1つは5つの核保有国(米露英仏中)との不公平さ。5つの核保有国だけが核を独占し続けることに対して、インドは異を唱えてきた。だから核不拡散条約(NPT)にも加入してこなかった。こういう説明です。そして、インド自身は核兵器の拡散といったことは目指さないということも強調しました。
私が申し上げたことは、いまインドが核を持ち、そのインドに対して米国が平和利用について協力をしようとしているが、結局核は「持った者勝ち」ということになってしまうのではないか。5つの核保有国の特権的な立場は不公平だとインドは批判してきましたが、インドもそれに準ずる特権的な立場を得るのではないか。これが第1点。
そして第2点は、インドも核を持つというなかで、同じように第2、第3のインドが出てくる可能性をどうやって排除していくのか。近い将来、核保有国が10、20と増えていくというリスクをどうやって切断していくのか。そのことが可能な形でインドの核保有を認めていかざるを得ないということです。
3番目に、少なくともインドが核実験を行えば、日本としても制裁ということも考えざるを得ない。核不拡散条約上インドをどう位置づけるかということだけではなくて、核実験停止条約(CTBT)に将来インドも加入すべきであるということも申し上げてきました。
いずれにしても、これは非常に大きな議論です。いままでの核保有国5つに対してインドがあり、パキスタンがあり、そしてイスラエルがある。この現実を見据えながら、新たな秩序というものをどうやって形づくっていくのか。まさしく核不拡散体制が壊れるぎりぎりのところに来ているという認識の中で、現実を見据えつつ、将来それがさらに広がっていかないような大きな構想力がいま求められていると思います。
この核の問題をデリーで議論したあと、ムンバイに飛びました。ムンバイでは経済人の方とお会いをしました。かなりハイレベルの皆さんとお会いできたと思います。
皆さん非常に元気で、インドの街は高度成長期に入る前の日本という趣で、車の数は非常に増えつつあるのですが、空港や道路、港湾といったインフラが全く整備されていないという状況で、やるべきことはたくさんある。したがって成長余力というのは非常にあるということを私も感じましたし、そういう前提でバラ色の未来を思い描いている経済人の方が多かったと思います。
ただ、私がそのときに申し上げたのは、中国との対比で申し上げたのですが、中国は民主主義でないことのリスクがある。つまり、これから政治体制がどこかで変わって行かざるを得ないだろう。経済の自由化を進めていけば、いつまでも現在の政治体制を維持することは困難だろう。そのときのショックが経済にも影響を及ぼす可能性がある。そういう意味での、民主主義でないことのリスクがある。
そしてインドは、民主主義であることのリスクがあると申し上げました。つまり、民主主義国家として、皆が参政権を持つわけです。改革を進めていくなかで、国民がそれに付いてこられるかどうかという問題があります。貧富の格差も広がっていく。全体として豊かになっているものの、格差も広がっています。
もともとインドの改革は、1990年代から始まったものですが、そのときにその改革を進めたのはBJP(人民党)でした。しかし、そのBJPは選挙で敗れ、現在の政権になるわけです。
現在の政権になっても、シン首相は改革派でしたから、シン氏が首相になっても改革路線は継続していますが、いずれもしても、多くの人が勝つと思っていた、改革を進めてきたBJPが負けたということは何を物語るのかということです。
さらに改革が進むなかで格差が広がるということであれば、その改革路線に対して「ノー」という判断が有権者によって下される可能性は否定できません。
そういったことを除くと、やることはいっぱいあるなと。高度成長前の日本と同じで、多くの人が夢を持ちながら、前を向いて歩くことのできる国として、非常に良い時期だなと改めて感じました。
今回は非常に短い旅だったので、また時期を見て、もう少し腰を落ち着けて、街の人々の声も聞き、様々な「ひずみ」の部分も含めて、インドにおける視野を広げたいと思いました。
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