「お言葉」問題について
今日は、国会開会式における天皇陛下の「お言葉」の問題についてお話ししたいと思います。
この件は新聞でも様々報じられ、あるいはご批判もいただきました。私の考え方は、外務省の記者会見で述べていますので、やや重なりますが、誤解を解いておきたいと思います。
誤解の多くは、私が陛下のお言葉に対していろいろ意見を言ったと受け取られてのものです。もちろん、私はそういったことを言ったわけではありません。
この国会の開会式における陛下のお言葉は、国事行為そのものではありませんが、それに準ずるもの、あるいは公的行為というものに分類されます。
お言葉は、政治的なものであってはならないということもあって、内閣官房で原案を作り、閣議で承認することになっています。その承認する立場にある閣僚として、今後のお言葉について私は意見を申し上げたわけです。
そして、その意見というのは、もう少し工夫ができないか。「工夫ができないか」と言った先は、お言葉を承認する立場にある、私を含めた閣僚に対して、あるいは原案を作る内閣官房に対して、そういうふうに申し上げたわけです。
私は国会議員になって、開会式に出席をして、その度に感じることなのですが、わざわざ時間をかけて陛下に国会にまで来ていただく。にもかかわらず、そのお言葉が毎年ほぼ同じものであるということに対して、もちろん、それが陛下のご意思であれば、それに対して私は何らものを言うつもりはないのですが、原案を作っている内閣官房、あるいは承認する閣議が、あまりにも官僚的発想に陥っていないか。
つまり、無難に無難にということで、結果的に毎回同じお言葉になっているとすれば、それは陛下に対して申し訳ないと私は感じているのです。
もちろん、政治的な意味合いがあってはいけないわけですが、そのことが、同じお言葉を毎年毎年繰り返すことと同義ではないはずです。現に、神戸の地震のあとには、それに対するお見舞いのお言葉を、陛下は開会式で述べられたわけです。
官僚的発想、あるいは無難に無難にという発想の中で、あまりにもそれが行き過ぎていないか、形式主義に陥っていないかということを、私としては問題提起したわけで、誤解をお持ちの方がいらっしゃれば、是非その誤解を解いていただきたいと思います。
◎外務大臣会見記録(要旨)10月27日
→ http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/gaisho/g_0910.html#6-I
◎外務大臣会見記録(要旨)10月23日
→ http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/gaisho/g_0910.html#5-D
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