与野党4幹事長・憲法座談会
見直し進め政治活性化
国際貢献を現実的視点で
読売新聞社は3日の憲法記念日を前に、憲法問題に関する与野党4党幹事長の座談会を開いた。政治の活性化に向けて憲法が果たすべき役割や、イラク戦争、北朝鮮情勢を踏まえた日本の安全保障のあるべき姿などについて、活発に論議が交わされた。
総論
飯尾氏 読売新聞の世論調査で、「憲法改正をすべきだ」との回答が6年連続で過半数を超えているように、憲法改正論議がタブー視されなくなってきた。国会でも憲法調査会で議論が進んでおり、憲法改正の具体的な手順や方向性がそろそろ出てきてもいい時期だ。各党の考え方を聞きたい。
転機迎えた国会調査会/山崎氏
山崎氏 憲法改正は真に必要な大きな政治課題だ。国会に憲法調査会が設置されたことは画期的な前進だった。(調査会報告までの)残された2年間、どういう作業を進めて憲法改正手続きに入っていけるのか、非常に大事な転換点に来ている。
岡田氏 憲法論議は55年体制を反映し、偏っていた。GHQ(連合国軍総司令部)が作ったので全面的に正当性がないという「押しつけ論」は、日本国が半世紀以上も憲法を受け入れてきた以上、私の世代は理解できない。他方、改正を論じることすら反動だという考え方も極めておかしい。時代とともに国の基本法を議論するのは成熟した民主主義にとって当然だ。(過去の)呪縛(じゅばく)から逃れ、具体的議論が始まったのは非常に好ましい。
国民的議論起こすべき/冬柴氏
冬柴氏 憲法改正は衆参各院の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票の過半数の賛成が必要で、世界に類例のないぐらいの硬性憲法だ。この硬性規定は、日本が戦前に犯した過ちの反省に立ち、国民の権利・義務や平和(を守るため)に大変厳しい縛りをかけたためだ。公明党は最初は「論憲」だったが、今は「加憲」で、環境権、プライバシーの保護など、加えるものがないか検討している。そういうものを提案し、国民的論議を巻き起こしていくべきだ。
藤井氏 「不磨の大典」と言われた明治憲法が55年続いた。(戦後は)それ以上に時代の変化が激しいのに、何もやらないのはおかしい。また、「押しつけ」かどうかはともかく、GHQが1週間で作ったのは事実で、言葉の整合性など、随分ミスがある。自由党は2000年12月に新しい憲法を作る基本方針を出しており、憲法改正を前提に議論を進めている。
飯尾氏 統一地方選でも、「政党離れ」が言われた。明治憲法と比べて、現憲法の一番重要な改正点は議院内閣制の採用なのに、政党がしっかりしないのは大変困った事態だ。政党条項のある憲法や政党法を持つ国がある一方、憲法や法律で無理やり政党を支えるのもいかがなものかという議論もある。憲法と政党との関係をどう考えるか。
山崎氏 実際は政党離れというより、政治的無関心の広がりではないか。政治を担う者として反省すべきで、我々にも責任がある。憲法に「結社の自由」は書いてあるが、政党の規定はない。憲法にきちんと政党を位置付けることは意味がある。一方で政党への膨大な金額の国庫助成がある。憲法に政党を規定して政党法を制定し、政党の役割や使命、要件を定め、国家の監査を入れて透明な運営を行うことで、国民が政党を理解し、政党を通じて議会制民主主義を運営することは必要だ。
飯尾氏 憲法には、国民と政治をする者との約束という側面がある。国民に信用されていない政党が中心になって政党条項を作り、憲法改正を発議することに矛盾はないか。
山崎氏 結社の自由は認められており、既成政党が信頼できないなら、新しい政党ができてしかるべきだ。反論すれば、国民は自らの水準以上の政党は持てないのだから、国民の水準が低いと言わざるを得ない。
冬柴氏 小選挙区制では、多様なニーズに応えられない。棄権する人は政治的に成熟しており、政治に無関心ではないと思う。国民の意識に、政党が応えていないのではないか。憲法への規定はしてもいいが、しなかったら駄目でもない。議院内閣制は政党がなければ成り立たず、憲法は当然、政党を前提にしている。
岡田氏 議院内閣制は政党を前提とし、国庫助成も入っているので、憲法上の政党の基本的要件を定め、政党法も制定すべきだ。ただ、国による政党の監査など、権力の介入にならない工夫をしないと意味がない。政治への無関心と政党離れの問題は分けた方がいい。政治に関心はあっても意識的に無党派の人もたくさんいる。政党離れの背景には、政党が国民の信頼を裏切っていることがあり、国民に説明責任を果たすことが大事だ。国民の意識が多様化する中、選挙や案件によって政党を使い分けるのは自然ではないか。膨大な党員の上に本部組織があるピラミッド型より、もう少しオープンなシステムの政党像を作ることが国民の意識に近い。
飯尾氏 今の政党で政党法を議論すれば、今の政党の形を受けた政党法ができてしまう。新しい政党の姿を法律に書くことはできるのか。あるいは今は過渡期なので、新しい政党の姿を待った方がいいのか。
岡田氏 政党法は、あまり既存の政党を前提にせず、政党として必要最小限の要件、権利・義務などを書いておけばいい。
藤井氏 米国や英国でも、政党の枠は非常に緩やかだ。政党法を作るのは、やや時代に逆行する感じがある。政党助成金に関する公認会計士の監査や情報公開など、政党には厳しいチェックが必要だが、あまり憲法でがっちりと書くのはどうか。
※政党条項:政党のあり方や役割などを明文化した規定。日本は1995年に政党への公的助成制度を導入し、政党が法人格を持てるようになった。だが、政党法はなく、憲法も21条で「結社の自由」を定めているだけで、政党への直接の言及はない。ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、韓国などの憲法には、政党条項がある。
【直接民主制】
住民投票の是非や首相公選にも関連
飯尾氏 政党離れの一方、国民投票など直接民主制的な動きを望む声は強い。現憲法は、典型的な間接民主制で、憲法改正以外の国民投票の規定はないが、どう考えるか。
山崎氏 この問題は首相公選制とも結びついている。国民投票に過度に依存すれば、議院内閣制が機能しなくなる。憲法改正で首相公選制を採用すれば、公選のための国民投票法はあり得る。また、憲法改正に限定した国民投票法を作る議論が先行している。きちんと結論を出し、早く作った方がいい。
藤井氏 例外的に国民投票があるのは正しい。代議制民主主義の下にも直接民主制があっていい。首相公選制には反対だが、例外的に国民投票がある憲法にすることはいい。ただ、エネルギー、安全保障など国の根幹に触れるものについての(特定の自治体に限定した)住民投票はおかしい。
冬柴氏 首相公選制には反対だ。国権の最高機関の国会に屋上屋を重ね、それと違う国民の結論が(首相公選で)出た時にどちらを優先するか、秩序が乱れる。国政レベルではやらない方がいい。ただ、首長は大統領的であり、地方自治には相反しない部分があるだろう。地方議会の決定と住民投票結果が違った場合も考え、非常に例外的に法律で住民投票を定めることが必要な感じがする。憲法改正に関する国民投票法は必要だ。
岡田氏私は首相公選反対論者だ。立法府の多数勢力がリーダーを選ぶ議院内閣制の方がリーダーシップを発揮できるはずで、発揮できていないとすれば、やり方、仕組みの問題だ。住民投票は、(質問の)聞き方によって結論が変わる問題もあり、一定の範囲で認めることは賛成だが、拡大は慎重に考えるべきだ。
【首相の指導力強化】
「政府と与党」調整カギ
飯尾氏今の議院内閣制の運営が有権者に満足を与えていない側面がある。戦前の遺産もあり、官僚主導や、政治家も含めて省庁がバラバラという問題が指摘されている。
山崎氏 小泉政権になり、首相のリーダーシップの問題はかなり改善した。橋本政権の行政改革で内閣機能が強化され、そこにうってつけの首相が出てきた。議院内閣制でも首相のリーダーシップの改革は十分できる。経済財政諮問会議により経済政策が一元化されるなど、内閣・首相官邸と官僚の関係は様変わりしている。今は官邸の意向を伺い、従おうとする作用が働いている。政党側は、アンシャンレジーム(旧体制)のまま動いているところがあるが、自然に調整されていくと思う。
飯尾氏 官僚との関係では首相のリーダーシップが強まったが、与党との関係には矛盾が残っているのではないか。
山崎氏 官僚もまだ非常に迷っている。以前はまず与党に相談し、与党の了承を得られるものを閣議に上げて決める、変な意味のボトムアップだった。最近は郵政改革や道路改革でも、官僚がまず首相官邸の意向を探り、官邸の意向が先に出て官僚が与党との調整に走り回るトップダウンのルートができた。官邸のトップダウン(による政策)を与野党含めた国会で十分論議し、最終的に決定する今の小泉首相のやり方の方が国民に好ましいのではないか。
岡田氏 第1に、与党と政府の関係はきちんと整理するべきだ。民主党が政権を取れば、「次の内閣」大臣は全部政府に入る。そうでないと、政府と与党の対立が続き、議院内閣制を殺してしまう。第2に、内閣府に調整権限を集める発想はいいが、機能していない。重要でないものは各省庁に任せ、本当に調整を要するものを内閣府で担当するように整理し直した方がいい。第3に、首相がリーダーシップを発揮するため、閣議の意思決定は全会一致とせず、多数決とすると法律に書いた方がいい。
冬柴氏 橋本行革は財政と金融の分離など縦割り行政の弊害の是正で大きく進歩した。内閣府も強化された。従来の政治家と官僚の関係は、随分と我々の思う方向に向かっている。
藤井氏 行政は、役人でなく与党が握るのが大前提だ。与党の政調会長など、しかるべき人が皆内閣に入れば、党との調整はなくていい。国会は党首討論などの運用ができていない。首相のリーダーシップは大変大事で、非常事態の時は首相が公務員に直接指示していい。また、中央政府のスリム化が重要だ。
山崎氏 議院内閣制で首相のリーダーシップを確立するには、憲法65条の「行政権は内閣に属する」を「内閣総理大臣に属する」と改正することが決め手だ。
岡田氏
逆に言うと、それ以外は憲法を変えなくてもできるということだ。
【イラク問題と国連】
武器使用基準緩和9条と切り離して
飯尾氏 日本の場合、憲法に平和主義がある一方、日米同盟も結んでいる。そして、憲法の制約を国連中心主義に関係づけることで、国連平和維持活動(PKO)その他を処理してきた歴史がある。だが、イラク戦争では、米国が戦争をやると決めた時点で、国連が無力化した。米国が国連に協力しない事態が続いた場合、国連中心の安全保障には限界がある。憲法の平和主義を国連中心主義に置き換えるのは難しくなったのではないか。
山崎氏 イラク問題で、国連安全保障理事会の機能が低下したことは事実だ。機能を回復するため、イラクの復興人道支援に関して、新しい安保理決議の採択に取り組むことが必須だ。日本は安保理理事国ではないが、新しい決議の草案を書くぐらいの役割を演ずるべきだ。
岡田氏 今回、北朝鮮問題もあるから、同盟国の米国についていくしかないという議論がされたことは非常に残念だ。将来、米国単独主義が強まると非常に不安定な世界が待っている。国連は引き続き重要だが、安保理改革では、少なくとも2つの常任理事国が反対しないかぎり、拒否権行使にならないという改革をまずやるべきだ。
冬柴氏 国連重視と日米同盟の関係について、国連憲章が一般法で、日米同盟は特別法だと私は整理している。1945年の国連憲章により、各国は集団安全保障に移っていく。日本国憲法は、国連憲章の思想を映し出しているが、集団的自衛権(の行使)は無理だ。それを補完するため、日米同盟で日本の安全保障を守る構成が取られた。イラク問題は、678、687、1441という安保理決議の文脈で(根拠を持って)攻撃が行われたという見方は十分できる。日本の国益を見た時、(中東は)決定的に重要であり、イラクでの人道支援や復興は、国際協調や日米同盟と関係なく非常に大事だ。
飯尾氏 憲法は日本の海外での活動について必ずしも積極的に述べていないが、国益上重要な活動のあり方をどう考えるか。
冬柴氏 憲法前文は国際協調に満ちあふれ、98条は条約を誠実に順守するとしている。我々は国連の平和活動に積極的に協力する法律的な義務を負っている。憲法9条は「国権の発動たる戦争」を禁じたもの以上ではなく、国際貢献のため日本が海外に出ていくことは是認されている。政府見解では、任務が武力行使を含む場合、自衛隊の国連軍参加は憲法違反としているが、国連の安全保障措置と日本の国益を追求する戦争を混同しているのではないか。私はこの解釈に合点できず、参加できると思う。ただ、法律上できるということで、実際にやるかどうかは国民とともに判断しなければならない。
藤井氏 第1次世界大戦後の国際連盟の反省に立ち、国連ができた。米国には早く国連という場に戻ってほしい。国連という仕組みが崩れると、力によって物事を決める19世紀的な社会になる。これだけは絶対崩してはいけない。
岡田氏 憲法は国際協調主義を訴えているが、憲法を作った時に、日本がそこに能動的に関与する発想はなかった。国連軍参加を否定するつもりはないが、行うのであれば憲法にきちんと書くべきだ。国連憲章が優位だということだけでは、憲法を軽んじることになる。ただ、国権の発動たる戦争とは趣が違うので、PKOでの武器の使用は、あまりにも厳しく考える必要はなく、国際的基準で考えていいのではないか。
冬柴氏 自衛隊が海外に出ていく法体系ができたが、武力行使と武器使用は全然違う。武器使用は国際基準というか、国際貢献にいく人が安心して身を守れる法制でなければいけない。それが武器使用で、9条の武力行使とは全く関係ない。
岡田氏 今の政府解釈は、自然権的な権利として自らを守る武器使用は許されるが、現実に法律上認められているものはだいぶ広がっている。さらに国際基準にまで広げるには従来の解釈では読めなくなる。国連決議がある場合には、(武器使用を)緩やかに考えるとの解釈でいいのではないか。
藤井氏 PKOは国連の決議でやる。外国に出ていって、日本だけが「撃ってきたら撃ち返していい」という話では通らない。やはり(武器使用基準は)国際基準、つまり任務遂行のため必要なものであるべきだ。
※武器使用基準:国連は、PKO参加部隊に自衛のほか、任務遂行を実力で妨害する者などに対する武器使用を認めている。これが一般的に国際基準とされる。これに対し、自衛隊の武器使用は、「憲法が禁じる武力行使に当たらない範囲」として、正当防衛と緊急避難に限定され、厳しく制限されている。2001年のPKO協力法改正で、自衛隊員本人・同僚に加え、他国のPKO要員や国際機関職員の防護が可能となったが、任務遂行のための威嚇射撃などはできない。
【北朝鮮危機と「自衛権」解釈】
集団的自衛権行使認め政策判断
飯尾氏 イラク問題にめどが立つと、国際政治の焦点は北朝鮮の脅威にどう対処するか、になる。米朝関係が緊迫すると、「保有するが行使できない」とする政府解釈を含め、集団的自衛権が問題になるのではないか。
山崎氏 集団的自衛権は行使できるはずだという議論は、非常によく理解できる。最近、米共和党の上院議員8人が来日し、小泉首相と会談した時、「日本に対する攻撃は米国に対する攻撃とみなす」と明確に言った。だが、「米国への攻撃は日本に対する攻撃だ」と言葉では言えるが、行動は取れない。北朝鮮が暴走し、在日米軍が前面に出る際、これでいいのかという忸怩(じくじ)たる思いはある。一方で、定着した憲法解釈を時の政権が変えることが許されるか、ということがある。やはり憲法改正で、自衛権は行使でき、自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権が含まれると明定することが必要だ。
岡田氏 集団的自衛権は非常に幅広い概念だ。第三国が米国と戦争になった時、日本が出かけて行って武力行使をするのは憲法を逸脱している。米国本土が攻撃された場合も憲法上は問題だ。ただ、日本を防衛するために活動している米軍が攻撃された場合、日本に対する行為と見なし、日本が反撃する余地を残すのは十分合理性がある。今の憲法は、すべての集団的自衛権の行使を認めていないとは言い切っておらず、集団的自衛権の中身を具体的に考えることで十分整合性を持って説明できる。ただ、日本を守るため公海上に展開している米軍艦艇が攻撃された場合という限られたケースなので、むしろ個別的自衛権の範囲を拡張したと考えた方がいい。集団的自衛権という言葉を使わない方がいい。
冬柴氏 国連憲章と憲法9条の最も違う点は(戦力の保持と交戦権を否定した9条)2項だ。これは(国連憲章の)どこにもない。日本はそれほど強い戦争放棄をした。9条を維持する限り、個別的自衛権以上は行使できない。それでは集団的自衛権は(米国だけが行使する)片面ではないかとなるが、そのために日本の区域・施設を無償、あるいは年間数千億円の思いやり予算をつけて提供している。集団的自衛権の行使は、この憲法を前提とする限り無理で、憲法改正も不要だ。
藤井氏 集団的自衛権は国際司法裁判所でも定着したもので、頭から否定するのはどうか。集団的自衛権は主権の行使だが、集団安全保障はある種の国際機関への主権の譲渡で、全然違う。集団的自衛権が国際的に定着している以上は、真っ正面から認めるが、あくまで主権の行使だから、どこまで出ていくかは日本国が決めればいい。
【今後の取り組み】
飯尾氏 今ある憲法を生かしていくのは当然だが、直すべきところを直す場合、必要不可欠な部分を直すのか全般的な手直しが必要か。有権者は、将来の憲法改正の手順や方向が見えにくく思っている。
山崎氏 日本国憲法は、世界で13番目程度に古い憲法だ。同じ第2次大戦の敗戦国のドイツが50回以上(ドイツ基本法を)改正したのに比べて、半世紀以上も1点も改正されていないのは問題だ。この間に価値観が随分変わっており、国民的規範の憲法が過去の古い価値観に基づく点は是正しなければならない。例えば、環境という言葉は憲法に1か所もない。権利と義務の関係でも国民の義務は3つしか規定されておらず、義務の強化が必要ではないか。憲法改正の核心は9条だ。今の憲法は独立を失った時にできており、独立を回復した以上、独立国家が当然持つ主権と、主権を守るための手段を明確に定めるべきだ。
まず改正規定を直すべき/岡田氏
岡田氏 今はこの国が明確な将来ビジョンを描き切れていないので、憲法の全面的見直しは少し時間を置いた方がいい。だから、具体的に個々の問題点を見直す考え方に立ち、まず憲法改正規定を直すべきだ。国民投票をする以上、衆参各院の発議は(現行の)3分の2以上でなく、2分の1以上で十分だ。そうなれば、改正が現実味を持ち、議論がより真剣に行われる。憲法9条を素直に読めば、自衛隊は違憲という解釈が出ても不思議でない。集団的自衛権の問題も含め、だれが見ても分かりやすい形にした方がいい。
冬柴氏 (改正要件が厳しい)硬性憲法は、日本が再び戦前のような侵略的な富国強兵、極端な中央集権にならないためだ。憲法改正で一番気をつけなければいけないのは戦前回帰だ。(公明党の)加憲も改正だから、その視点を失ってはいけない。それ以外の部分で改正は考えたらいい。その際、権利よりも、環境を守る義務、プライバシーを侵さない義務という形がいい。山崎氏と同じ思想だが、あまりにも権利が多すぎる。
「公共の福祉」記述具体的に/藤井氏
藤井氏 この憲法は、占領者は「占領地の現行法律を尊重」すべきとした(戦時国際法の)ハーグ陸戦規約(1907年)違反だ。9条は直さなければいけない。文章がつたなく、整合性がないうえ、日本政府が間違った解釈をしているから。「公共の福祉」も、憲法に書いているのは米国ぐらいで、分からない概念だ。世界人権宣言も国際人権規約も、「公共の福祉」の内容を「他人の権利を害してはいけない」などと具体的に書いている。我々は、こうしたことを国民にすべて提言すべきだ。
【出席者】
◇岡田克也(おかだ・かつや)氏民主党幹事長
通産省官房企画調査官などを経て1990年に衆院初当選。93年に自民党を離党し、新生党に参加。新進、民政党を経て98年に民主党に。党政調会長などを経て昨年12月から現職。東大法卒。当選4回。49歳。
◇山崎拓(やまさき・たく)氏自民党幹事長
福岡県議を経て1972年に衆院初当選。官房副長官、防衛長官、建設相、自民党国会対策委員長、同政調会長などを歴任。2001年4月から現職。早大商卒。当選10回。66歳。
◇冬柴鉄三(ふゆしば・てつぞう)氏公明党幹事長
弁護士を経て1986年に衆院初当選。公明党国会対策副委員長、自治政務次官、新進党政策審議会副会長、衆院決算委員長、新党平和幹事長などを歴任。98年11月から現職。関西大法卒。当選5回。66歳。
◇藤井裕久(ふじい・ひろひさ)氏自由党幹事長
大蔵省主計官などを経て1977年に自民党から参院議員初当選。90年に衆院議員。93年に新生党に参加、細川・羽田内閣で蔵相。新進党を経て99年1月から現職。東大法卒。衆院当選4回(参院2回)。70歳。
◇司会飯尾潤(いいお・じゅん)氏政策研究大学院大教授
政治学・現代日本政治論。埼玉大専任講師、助教授、政策研究大学院大助教授を経て、2000年から現職。著書に「民営化の政治過程」など。東大大学院法学政治学研究科博士課程修了。40歳。