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2005.03.18|マスコミ

理想の死に方

魂の存在か無か

政 治家は人の死にたびたび直面する職業です。一人の政治家を生み、育てるためには数多くの人々の協力が不可欠です。私の場合も、地元三重県で数百、数千の方 々の損得を超えた支えがあって、今日の私があります。十五年間の政治活動の中で、必然的にその方々の何割かがお亡くなりになり、そのたびに人間の死という ものについて、あらためて考えさせられることになります。

先日も初当選前から私を支援していただいたA氏がガンでお亡くなりになりました。かつては何度も夜遅く自宅を訪ね、ともに夢を語りあった、支援者という よりは同志ともいうべきA氏でした。選挙のたびに持ち前の行動力で大活躍してくれました。まだ定年前の若さだったのですが、それだけにガンの進行は速かっ たのです。私が久し振りに地元に戻り、病院に見舞ったときには昏睡状態でした。

それが私が声をかけると、突然目を開いて、「地元は俺がみる。代議士は心配せずに政権交代することに専念してくれ」としっかりとした口調で語ったので す。A氏は、私にその言葉を伝えるのを待っていたかのように、二日後に亡くなりました。A氏の言葉を、生涯忘れることはないでしょう。

今日の自分を考えるとき、その考えや行動がいままでに出会った数多くの人々によって影響を受けていることに思いあたります。

多くの人々との出会いが私のいまの考え方、生き方を形作っているのです。とりわけ、死に直面した人との間に交わした言葉は重く、私の生き方に大きな影響 を及ぼしています。実は、私が自民党離党以来十年間、迷うことなく、非自民の道を貫いてくることができたのも、私の初代後援会長S氏が、本来なら典型的な 自民党支持層であったにもかかわらず、死の直前に「一度決心した以上、自分の信念を貫け」と言ってくれたことが大きかったと思っています。

十代の頃、「人にとって死とは終点なのか、それとも一つの通過点に過ぎないのか」、言い方を変えれば、人の死を超えて魂は存在するのかということについ て、真剣に考えた日々がありました。当時の私の結論は、人間に魂が存在するはずもなく、人は死によって「無」になるというものでした。この考えは、三十年 以上経ったいまも基本的には変わっていません。

多くの価値観を共有する妻との間で明確に意見が一致しないのが、この「魂の存在」の問題です。少女期に父親を亡くしした妻は、自分や家族の今があるの は、父親の魂が守ってくれているからにちがいないとの信念を持っています。私が生まれたときに、私の祖父母は母方の祖母を残して既に亡くなっており、私自 身、身内の深刻な死に直面することなく今日まできたことが、いまだに魂の存在を信ずることができない理由なのかもしれません。

しかし先に書いたように、人は死によって無になるとしても、その人の志や生き様は、家族やまわりの人々に様々な所で影響を及ぼし、受け継がれていきます。それこそが一人の人間が生きた確かな証だと思います。

信念を曲げることなく、よりよい政治の実現を目指して頑張り抜いた一人の政治家がいたと、多くの人々に記憶されるような生き方、そして死に際して、自分の信念を貫いた人生であったことを堂々と話すことのできる生き方を、実践したいものです。




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