民主党政権3年間の取り組み
2009年夏、岡田かつやは幹事長として政権交代を実現。その後の民主党政権では、外務大臣、幹事長、そして副総理(社会保障・税一体改革、行政改革担当大臣)として、政府・与党の中枢で政権運営を支えてきました。山積する様々な課題に全力で取り組んできた民主党政権の3年間を、岡田かつやが語ります。
■ 先の衆議院選挙(2009年)で、民主党政権が誕生しました。あの時のお気持ちをお聞かせください。
15年間の野党時代を通じて、政権交代の必要性を一貫して訴えてきました。その念願がいよいよ叶ったということで、私自身も非常に興奮したことを思い出します。「さぁ、やるぞ」という気分でした。
■ 政権交代後、まず外務大臣に就任されました。就任後ただちに命じられたのが密約調査でした。
外交に対する国民の皆さんの理解と信頼が大切だと考えました。このため、まず密約問題にしっかりと取り組むことが必要だと考え、就任したその日に事務次官に徹底的な調査命令を発しました。歴代政権は「密約はない」という事実でないことを言い続けてきましたが、それをどこかで終わらせなければならないと思ったのです。
もちろん、古い考え方の人たちからは、「外交密約を明らかにすることは国益を損なう」という批判も随分ありました。しかし、結果を見れば、これは外交に対する国民の信頼感を高め、大きな成果だったと思っています。
■ 核軍縮・不拡散への取り組みも、「岡田外交」の柱の1つだったと思います。
日本が核不拡散・核軍縮のリーダーシップをとって進めていかなければという認識のもとで、私はこの問題に取り組みました。
幸いにして、オバマ米大統領は「核なき世界」を目指すという基本的な考え方を持っていましたので、日米間でも大きな方向性を共有しながら議論ができたと思います。
残念だったのは、唯一核を増やしている国、すなわち中国との対話で成果を出せなかったということです。日本外交にとって、中国の核軍備の増強に対してしっかり歯止めをかけることは、今後の大きな課題だと思っています。
■ 沖縄の普天間基地問題ではかなりご苦労があったと思いますが。
普天間問題は、結果的には鳩山政権の命取りになりましたし、私にとっても非常に残念な思いが残ります。
現実に県外で引き受けられるところはない、そのあてがないままに県外という言葉が先走ったことは非常に残念だったと思います。
また、沖縄の皆さんに対しては、期待感を高めてしまい、本当に申し訳ないと思います。これからも色々な意味で沖縄との関わりは深めていかなければならない、そういう思いで、外相辞任後5回沖縄を訪れています。
■ 外務大臣を1年務めたあと、ご自身3度目となる幹事長に就任されました。本当は外務大臣を続けたかったということですが。
私は、外務大臣というのは1人の人が長くやらないと本当の外交ができないと常々考えてきました。外務大臣を続けたいという思いは強かったのです。
他方で、難しい時期の幹事長就任は、苦労することはわかっていましたが、多くの方々に背中を押され、お引き受けしたというのが現実です。
■ 幹事長に就任された際、「天命だ」とおっしゃっていました。
幹事長に就任した際、大きな仕事は2つありました。
1つはねじれ国会への対応。与党が参議院において過半数がない中で、野党としっかり話をして、協力できる体制を作っていかなければいけないと。
そしてもう1つが、小沢元代表が政治とカネの問題で強制起訴の可能性がある、という状況の中で、党をどうまとめていくかということが大きな課題でした。
この2つはいずれも大変な仕事ですが、いままでに幹事長の経験のある私が受けざるを得ないと思い、あの時「天命だ」と申し上げたわけです。
■ 幹事長在任中の最大の出来事は東日本大震災だったと思います。震災後、通算19回被災地へ行かれ、3本の補正予算と復興増税を実現されました。
悲惨な現場を見て、被災者の皆さんや関係者の声を聞く中で、与党幹事長としての責任を果たさなければならないと強く思いました。3回の補正予算を組むことが非常に重要な仕事になり、その財源を生み出すために、高速道路の無料化をやめたり、ODA(政府開発援助)予算を削ったりというようなことも含めて、幹事長としていろいろと決断をさせていただく場面がありました。
■ そういう中で、野党から内閣不信任案が2011年6月1日に提出されました。
私は、「こういう時期に政局ではないだろう」と強く思いました。もっと残念だったのは、不信任案に同調しようという動きが党の中に出てきたことです。
何とか民主党がまとまって、不信任案を否決できるよう、幹事長として全力でこの問題に対応しました。
不信任案を議論する議員総会における菅総理の発言が、自らの退陣を認めたと受け取られ、やがて退陣につながることになりました。私としては、非常に残念なことだと思っています。
■ 菅総理の退陣の直前に民主、自民、公明3党で幹事長合意を取りまとめました。ねじれ国会で1年間苦しんだ末の3党合意でしたが、どんな思いでしたか。
菅政権の終盤で最も重要だったのは、特例公債法を成立させることでした。
特例公債法を成立させないと国債の発行ができませんから、予算の執行ができないのです。
賛成してもらうために、子ども手当の見直しなど、様々なことについて野党の幹部の皆さんと議論しました。
悔しくてもつらくても自民党・公明党との話し合いをまとめる、妥協してでも譲歩してでも話し合いをまとめるということが、参議院で多数を持たない与党の責任だということです。この3党合意に至ったこと、そして野党幹部との信頼関係を築いたことが、今回の社会保障・税一体改革の3党合意につながったと思っています。
■ そして今年1月、副総理として野田内閣に入閣され、社会保障・税一体改革と行政改革などを担当されています。これをお引き受けになったときのお気持ちは?
野田政権を作った責任が私にはありますので、野田さんから求められれば全力で支えるということは当然のことだと思って、お引き受けしました。
■ 一体改革関連8法案は、民主、自民、公明3党が合意することで、実現しました。この点をどう受け止めていますか。
委員会で真剣に議論を尽くしたからこそ、論点が明確になり、3党で合意することができました。
与党だけでは法律は成立しませんので、当初から自民党や公明党の賛同を得るしかないと私自身も考え、様々な働きかけをしてきました。
政局的に見れば、「野田政権を追い込み、解散に持っていく。だから否決すべきだ」という声も野党の中でありました。しかし、いまの厳しい財政状況を作り出したことについて、長く与党だった自民党の中に、「何とかしなければ」という声が根強くありました。やはり良識の声が勝ったと思います。
■ では、一体改革の中身についてポイントを伺いますが、そもそも、なぜいま消費税を上げてまで社会保障と税の一体改革が必要なのでしょうか。
いまの財政の状況を見れば、多くの国民の皆さんも、実は、消費税を上げざるを得ないということは、分かっておられると思います。
年金、医療、介護などの日本の社会保障は、いろいろな問題があるにせよ、世界的に見ても優れた制度です。しかし、これらの制度を持続していくためには、やはりいつまでも借金(国債)でまかなうことはできません。
加えて、子ども・子育てなど、今まで手薄だった政策について、十分な財源を充てて、働くことと子育てがきちんと両立できる日本を作る最後の機会だったと思います。
■ 「増税先行で社会保障改革がない」といった批判も聞こえてきます。
増税先行ということはありません。社会保障については、今回も年金で2本、子ども・子育てで3本の法律が含まれており、「増税だけだ」というのは明らかに間違いです。
ただし、年金の抜本改革や後期高齢者医療制度については、与野党で意見がまとまっていませんので、それらが含まれていないことは事実です。これらの問題は、「社会保障制度改革国民会議」を設け、1年以内に結論を出すということが法律で決められましたので、これからしっかり3党を中心に議論を行なっていきたいと思います。
■ 「社会保障・税の一体改革と行政改革は、車の両輪として進めていかねばならない」と言われていますが、行革担当大臣就任以来、どういった取り組みをされてきましたか。
様々な取り組みをすでに進めています。独立行政法人改革、特別会計改革、国家公務員総人件費の削減などの問題について、着々と成果を上げているということを理解していただきたいと思います。
「効率的で機能する政府」を目指して、あらゆることに取り組んでいきます。詳細は、別表の「政権交代以降の行政改革の主な取り組みと成果」を見ていただければと思います。
■ 民主党マニフェストへの厳しい評価も指摘されています。幹事長在任中に「マニフェストの中間検証」を発表されていますが、マニフェスト批判について、どう考えておられますか。
マニフェストがどれだけできたかということについては、幹事長時代に中間検証をしました。財源不足など反省すべきこともありますが、成果も多いのです。批判だけのメディアもありますが、一つひとつやり遂げてきたことについて、しっかりと見ていただきたいと思います。
例えば、子どもについては、「チルドレンファースト」という言い方もしましたけれども、35人学級、高校授業料無償化、児童手当の大幅拡充、そして今回の子育て支援策など、さまざまな実績を上げています。公共事業予算削減や農業の戸別所得補償なども政権交代の成果です。
■ 消費税増税はマニフェストに書かれていません。マニフェスト違反との指摘をどうお考えですか。
2009年の総選挙のときに、「4年間は消費増税しない」と鳩山代表をはじめ、私も含めて多くの議員が言ったことは事実であり、国民の皆さんの期待に応えられなかったことは申し訳ないと思います。
しかし、政権交代後、ユーロ全体の危機があり、いまもそれが続いています。国際金融も通貨も不安定になっています。
加えて、2011年3月11日の東日本大震災です。すでに19兆円の税金の投入を決定していますが、まだまだ税投入は必要です。
そういうなかで、日本は世界で飛び抜けて大きな借金を抱えている国です。私は強い危機感を持ちました。
財政が厳しい事態に直面すれば、社会保障制度も持続可能ではなくなります。ヨーロッパで若者の失業率が5割を超し、年金が何割もカットされているという事態は、他人事ではないと思います。
そういったことを、日本では絶対に起こしてはいけない。それが政権を担う政府・与党としての責任であると感じて、私は今回の社会保障・税一体改革をぜひ進めるべきだと考えたわけです。野田総理もおそらく同じ思いだと思います。新たな事態に直面したにもかかわらず、マニフェストに書いてないからといって、国家と国民にとって極めて重要なことを先送りするというのは、政権与党として無責任だと思っています。
■ 今後の抱負をお聞かせください。
野田政権として社会保障・税一体改革という最大の課題はクリアされました。
しかし、日本が直面している問題は、震災からの復興、原子力発電所の問題、そして経済成長をし、国民の生活を守ることなど、課題が山積しています。
野田総理には、これからもブレずに日本のため、国民のために頑張っていただかなくてはなりません。私は、それをしっかりと支えていきたいと思います。
総理大臣というのは非常に孤独なものですから、近いところにいて、その支え役に徹していきたいと思います。
■ 最後に地元の皆さんに一言お願いします。
重要閣僚ということで、地元には月に1度ほどしか帰れません。直接意見交換させていただく機会が非常に減っていることは、申し訳ないと思っています。
でも、たまに帰ると、「地元に戻るよりも、国政全体のために頑張ってもらいたい。いまはそういうときだ」と言われたり、「健康にだけは気をつけてください」と言われたりすることが非常に多いです。
こういった温かい支持者の皆さんに支えられて、いままで国会議員として活動できたことを幸せに思っています。
外相、幹事長、副総理と政府・与党の中心メンバーとして、全力投球の3年間でした。まだまだやらなければならないことも多いと実感しています。国のため、国民のためにこれからもしっかり全力投球することを約束します。
※本インタビューは、「岡田かつや後援会会報2012年秋号」より転載したものです。