外務大臣としての1年を振り返る(2009~10年)
人生で最も充実した1年、全力投球しました。
在任中は、たくさんのことに取り組みました。1つは、情報公開です。外交は国民の理解と信頼に支えられたものでなければならないという観点から、就任と同時に徹底的な調査命令を出し、密約問題を解明しました。また、文書管理体制の強化や外交記録公開についてのルール化も行いました。
2つ目は、現場主義です。外交は外相同士の信頼関係の上に成り立っています。在任中、1年間に21回の海外出張を繰り返しましたが、例えば、クリントン米国務長官とは6回、中国の外交部長とは7回、韓国の外交通商部長官とは5回の会見を重ねました。アフガニスタン、ハイチなどの訪問も貴重な経験でした。
日米同盟の深化という点では、安保改定50年を機に、30年、50年と持続可能な日米同盟を築くという思いで取り組みました。アジア外交では、中央アジアやインド、ASEANといった中韓以外の国々ともより深い関係の構築に努めました。
グローバルな課題では、核軍縮・不拡散について、新しい提案も行い、「核リスクの低い世界」といった外相間の率直な議論を核保有国と重ねてきました。
世界のパワーシフトが起こっており、G7先進国だけでなく、中国やインド、ブラジルや南アフリカといった新興国の存在感が高まっています。その中で、日本の外交官100人の配置を先進国から新興国へシフトさせ、新興国との関係強化の姿勢を明確にしました。
最後に、外務省の職員の皆さんが、私の方針を理解し、一緒になって新しい外交に取り組んでくれたことは大きな喜びでした。信頼関係を築きながら、充実した1年を送ることが出来たと思います。
1年間の主な実績
2009年9月
外相就任。就任記者会見で、外交密約の徹底的な調査を命令。
外交に対する国民の信頼を取り戻すことを主眼に置き、決意を持って外務大臣の職責を全うすることを誓う。
10月
アフガニスタンを電撃訪問。カルザイ大統領など政府要人との会談や、職業訓練校や小学校を訪問。日本政府として、5年間で最大50億ドルの支援を決定。
2010年1月
ハワイでの日米外相会談。1年で6回の会談を行うなど、クリントン国務長官との信頼関係構築、日米同盟の深化に努める。
3月
いわゆる密約調査結果を公表する。外務省始って以来の徹底的な調査と情報公開を断行。外交文書の30年自動公開ルールも導入。
地震により甚大な被害を受けたハイチを訪問。国際緊急援助隊や自衛隊PKOを派遣。
カナダで開催されたG8外相会談に出席。核軍縮・不拡散について、核保有国外相らを相手に突っ込んだ議論を行う。
4月
国連安全保障理事会の「紛争後の平和構築」に関する公開討論会で議長を務め、平和構築の政策的指針を示す。
タンザニアと南アフリカを訪問。アフリカ支援閣僚級会合の共同議長を務め、経済回復やエイズ対策、子どもの教育への支援など、日本の積極的な取り組みを表明。
5月
NPT(核兵器不拡散条約)運用検討会議で、豪州と共同で「核リスクの低い世界」を打ち出すなど、国際的な核軍縮・不拡散論議をリード。
普天間基地移設に関する日米合意。普天間の危険性除去のため、辺野古沖に基地を移設するとともに、沖縄の負担軽減措置を実施することを確認。
6月
駐中国大使などに民間人を積極登用。適材適所の人事で、外交力を高める。
7月~8月
1カ月で、中央アジア、インド、タイ、ベトナム、中国、モンゴルなどアジア9カ国を訪問。新たなアジアの時代に向けた重層的な外交を展開。
8月
日韓併合100年を機に内閣総理大臣談話を発出。1年を通じ、5回の日韓外相会談を行うなど、未来志向の新たな100年に向け、日韓両国の絆を強化。
9月
内閣改造に伴い、外務大臣を退任。
外務大臣としての記録
在任期間 | 367日(うち海外出張日数92日) |
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外国出張回数 | 21回 |
訪問国数 | 31カ国 |
外国外相接見人数 | 164人 |
外国国家元首・閣僚接見人数 | 103人 |
総移動距離 | 335,887キロ(地球約8.4周分) |
外相就任記者会見
クリントン米国務長官とともに
アフガニスタンの小学校を視察
ハイチ大地震被災地テント村等を視察
国連安全保障理事会に議長として参加
G8外相会談において
写真で見る「岡田外交」
2009年9月~2010年9月の写真一覧
「岡田外交」の1年
1.国民の理解と信頼に支えられた外交の推進
(1)いわゆる「密約」問題に関する調査
(2)外交記録公開の推進、文書管理体制の強化
(3)記者会見のオープン化
(4)民間出身大使の登用
2.弾丸外交:外国訪問/外相会談
-就任後、21回の外国出張で延べ31カ国を訪問。総移動距離は33.5万㎞(地球8.4周)。精力的に外相会談を実施(米:6回、韓:5回、中:7回)。
-現場を重視し、インドネシアのスマトラやハイチといった被災地やアフリカやラオスにおける支援サイトも訪問。
3.日米同盟の深化
-普天間基地問題に正面から臨み、日米合意を公表。8月末に専門家会合の報告書。
-安保改定50周年を機に、今後30年、50年持続可能な日米同盟へ。
4.重層的アジア外交の展開
-大局的視点に立って目の前の懸案を1つずつ乗り越え、具体的な成果へ。
-日中関係:食の安全、ガス田開発、防衛当局の海上連絡、ビザ発給の拡大など。
-日韓関係:日韓併合100年に関する総理談話。
-ASEAN、メコン地域との関係強化。7~8月の1カ月間でアフガン、ベトナム、ラオス、インド、タイ、ウズベキ、カザフ、中国、モンゴルの9カ国を歴訪。
5.アフガニスタン・パキスタン支援
-自らの現地訪問の結果も踏まえ、支援策をとりまとめ。
-アフガン:5年間で最大50億ドル程度の支援を決定。7月のカブール会議に出席し、支援の着実な実施を表明(2010年末までに11億ドル)。
-パキスタン:2年間で最大10億ドルの支援を迅速に実施。
6.グローバルな課題に対するリーダーシップ
(1)核軍縮・不拡散~「核リスクの低い世界」へ
-豪・独・米等と連携し、国際社会の議論をリード。核兵器の数と役割の低減(唯一の目的、消極的安全保証等)。NPT会議の成功に貢献。中国やフランスとも率直な議論。
(2)気候変動
-累次の外相会談でも提起し、温暖化防止の国際世論の形成に貢献。
(3)ODA改革
-NGO等外部の知見も取り入れ、ODAのあり方について再検討。「開かれた国益」の理念を打ち出し、重点分野と今後の取り組みの方向性を示す。
7.世界の活力を日本の成長へ:新興国外交、EPA
-「新興国外交推進室」を設置。3~5年間で在外公館の外交官約100人を先進国から新興国へシフトする方針を決定。
-EPA/FTA交渉を加速化。インドと大筋合意。日韓、日EUも前進を見る。
海外出張・会談等の記録
◆外務省ホームページ
記者会見
外務大臣としての記者会見(2009年9月17日~2010年9月17日)(テキスト版)
外務大臣就任記者会見(2009年9月17日)(動画版)
外務大臣記者会見(いわゆる「密約」に関する調査結果について)(2010年3月9日)(動画版)