特集

2007.08.17|

ミャンマー・カンボジア視察報告(2)

■8月17日(金)

朝6時半にホテルを出発し、ニャンウー空港へ向かう。途中バガン遺跡の一つ、アーナンダ寺院を駆け足で訪問。バガンには約2,000のパゴタが存在するが、アーナンダ寺院はその形状から最も美しい寺院と言われている。本堂には高さ9.5メートルの仏像が東西南北に1体ずつそびえ立つ。


朝7時35分の飛行機でマンダレーを経由してヤンゴンへ戻る。ヤンゴン市内にて、国連難民高等弁務官(UNHCR)ヤンゴン事務所代表と、国連世界食糧計画(WFP)ミャンマー事務所代表らから、活動内容についてブリーフィングを受ける。NGOとも連携を密にして支援活動を展開しているとのこと。軍事政権支配下のミャンマーにおける人道支援の難しさや、国際社会による経済制裁の是非などについても議論を交わす。

ミャンマー日程を全て終え、午後1時50分の飛行機でヤンゴンを飛び立つ。バンコク経由で次の視察地カンボジアへ向かう。夜7時30分、プノンペンに到着。15年ほど前にカンボジアを訪れたことがあるが、当時はポルポト派も勢力を保っており、プノンペンも内戦の傷跡が生々しく残っていた。大きく変わったプノンペンの街並みには驚かされた。大使公邸で夕食をとりながら最近のカンボジア情勢について篠原大使らと意見を交わす。篠原さんはカンボジアの専門家であり、フンセン首相などとも率直に話ができる貴重な存在である。



■8月18日(土)

朝7時半にホテルを出発し、プノンペン市内にあるシャンティ国際ボランティア会(SVA)の事務所に移動。二人の日本人スタッフからカンボジアでの取り組みについて話を聞く。いずれもカンボジアに20年以上かかわってきた人達だ。日本のNGOには、カンボジアの内戦とそれに伴う難民支援をきっかけとしてスタートしたものが多い。カンボジアは日本NGOのルーツでもある。SVAは主に図書館事業、学校建設、スラム教育文化支援などを行なっており、今回はスラムの活動を視察する。


車で1時間ほど走り、視察地のアンドンスラムに到着。プノンペンには750以上のスラムがあり、都市の人口の30%に相当する40万人がスラムに暮らしている。このアンドンスラムには、およそ574世帯、2,870人が居住しているという。スラムの中を歩くと、粗末なバラック(小屋)が立ち並ぶ光景が続く。水道、下水、電気もなく、不衛生な環境のため病気の発生率も高い。栄養失調のため髪の毛が脱色している子ども見かける。

しばらく歩くと、家の日陰でSVAによる紙芝居活動が始まっていた。多くの子ども達が身を寄せ合って熱心に観ている。時折子ども達の大きな笑い声が響く。SVAは、アンドンスラムの1,000人以上の子ども達を対象に、絵本、紙芝居、ゲーム、歌などのレクリエーション活動による心のケアと学習支援を行なっている。絵本や紙芝居の読み聞かせは子ども達に知識を与えるだけではなく、生きていく上で大切なことを教える。学校に通えない子ども達にとって貴重な機会だ。


午後からは、難民を助ける会(AAR)が支援する障害者のための職業訓練校を訪問。この訓練校は93に開校。縫製、電気製品の修理、オートバイ修理の3コースを設け、地雷の被害者やポリオの後遺症等で障害を負った人々のための技術訓練を実施している。同時に卒業後の自立を目的とした識字教育や社会知識の学習も行なわれている。長年の活動でカンボジア人スタッフが育ったため、現在AARは日本人駐在員を置かずに、現地スタッフが運営している。

カンボジア人の校長先生から説明を聞いた後、校内を案内してもらう。縫製教室では訓練生がミシンを使って縫製する様子を見学。訓練生が作ったショルダーバッグは非常によくできている。片手を失った少年が、器用にミシンを使って頑張っている姿は印象的だった。

続いて電気製品修理の教室を見学。自身も地雷の被害者である青年がテレビの修理方法を教えていた。彼は日本への留学経験があり、日本語で挨拶してくれた。

次に車椅子工房を見学。ここでは、地方に住む障害者のために、車椅子の製造、配布、修理を行なっている。障害の状態に応じて数種類の車椅子が作られている。実際に乗って動かしてみたが、非常に頑丈に作られていた。ここでもスタッフの多くが障害者だ。

最後に縫製コースの卒業生が経営するお店を訪問。訓練校で学んだ技術や知識を活かし、立派に自立している。優秀な卒業生のお店に生徒が弟子入りする制度もあるという。NGOによる地道な活動が実を結んでいることを実感する。


今日3箇所目の視察地であるWFPのプノンペン倉庫を訪問。WFPとスクール・エイド・ジャパン(SAJ)から学校給食事業について説明を受ける。WFPは、2006年からSAJと連携して、15の小学校の3,950人の児童を対象に給食を支給。学校で食べる給食のほか、小学生の子どもを持つ380の家庭に持ち帰り給食も支給している。


続いてWFPの巨大な倉庫群を視察。テントやゴムボートなどの救援物資や、お米や缶詰などの食糧が大量に貯蔵されている。地震や洪水などの自然災害、戦争や紛争、難民危機などの緊急事態がアジアで発生した場合、ここから物資や食糧が支給される仕組みになっている。日本政府から提供されたお米や魚の缶詰も貯蔵されている。敷地内には、国連本部からの緊急情報を受信するための大型アンテナや、食糧などを輸送するトラックやコンテナも配備されており、緊急時に迅速に対応できる体制が整っている。まるで巨大な国際物流会社のようだ。

視察を終えプノンペン空港へ向かう。夜6時の飛行機で最終視察地のシェムリアップに移動。シェムリアップには、世界遺産のアンコール・ワットやインドシナ最大のトンレサップ湖などがあることから、毎年多くの観光客が訪れる。空港からホテルへ向かう途中の道には、観光地らしくリゾートホテルやレストランが建ち並ぶ。15年前に来た時に、地雷の危険を警告する看板が立ち並び、まともな宿泊先はなかったのと比べると、驚くべき変化だ。



■8月19日(日)

いよいよ最終日。午前中はNGO活動、午後はアンコール遺跡を視察する。朝8時、アンコール研究の第一人者の石澤上智大学学長と懇談。長年取り組まれてこられたアンコール遺跡の修復・保存活動について話を聞く。


日本国際ボランティアセンター(JVC)のスタッフと合流。視察する農業・農村開発事業について説明を受ける。JVCは80年代初頭からカンボジアでの活動を開始。現在は持続的農業・農村開発活動などを行なっており、農民が本業の農業によって生計を立て、自らの力で食糧を確保することができるよう支援している。シェムリアップ県では、東部の稲作地帯の35箇村で活動している。

車で40分ほど走り、活動サイトのドムライチョロン村に移動。この村では、約7割の世帯が稲作で生計を立てているが、十分な農地を確保できないなどの理由で、自給が可能な農家は半数ほどしかない。そのため、隣国のタイやマレーシアに出稼ぎに行く人も少なくないという。訪れた農家では、JVCが推進している幼苗一本植え(若い苗を一本ずつ植える栽培方法:SRI)が行なわれていた。JVCは、他の農村でこの方法により収穫量を2倍にさせた実績がある。しかし伝統的なやり方を変えるのは容易ではなく、実績を示しながら保守的な農民を説得していかなければならず、その苦労は大変だ。


次にJVCが研修を行なっている家庭菜園とエコロジカル養鶏を視察。農家では、生態系に配慮し、農薬や化学肥料を使わず野菜栽培と養鶏が実践されている。JVCによる研修の成果で、見事に整理された菜園や、豊作となった稲作もあった。しばらく稲作地帯を歩くと、村人達が共同で田植えをしている光景に出くわす。声を掛けると笑顔で手を振ってくれた。


次にトーティア村に移動し、村人達による料理コンテストの様子を見学。自分が育てた食材や自然から採取した食材を使って、栄養バランスの良い、安全で美味しい料理を作って競う。試食をさせてもらったが、どの料理もとても美味しかった。正直言って、ここで食中毒になるかなと覚悟したが、今回も私は体調不良になることなく元気に帰国できた。

視察終了後、クメール料理のレストランで昼食をとる。ここの日本人オーナーは、カンボジアで支援活動を行なっているNGO「るしな・こみゅにけーしょん・やぽねしあ」の代表でもあり、バッタンバン州において農村コミュニティー開発や農業改良、保健事業に取り組んでいる。素晴らしいカンボジア料理だった。

午後からはアンコール遺跡群を視察。まずアンコール・トムのバイヨン寺院を訪れ、日本政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)団長として、長年アンコール遺跡の修復・保存活動に取り組んでいる中川早稲田大学教授に案内してもらう。続いて、上智大学アンコール遺跡国際調査団の案内で、アンコール・ワットを視察。最後に上智大学研究所で、今年の11月にオープンするシハヌーク・イオン博物館に展示予定の国宝級の仏像を見学する。


※ブログ「TALK-ABOUT」もご覧ください。



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