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1997.04.22|国会会議録

140回 衆議院・厚生委員会

岡田委員 新進党の岡田克也でございます。

まず、塩野谷委員にお聞きしたいと思います。

医療保険審議会の方で昨年の十一月にお考えをまとめてお出しになったわけですが、その中で、先ほどの御説明にもありますように、今回の改正についてのポイントは、一つは高齢者の負担の問題、そしてもう一つは薬剤だったと思います。高齢者については、先ほど御説明のように、一から二割の定率負担ということでありましたが、現実には五百円、月四回ということで、基本的な考え方と違う政府の案になっているわけであります。薬剤についても、三から五割の定率負担というのは、それとは似ても似つかない形になってしまった。そういう意味では、医療保険審議会の考え方というのはほとんど否定されたのではないかというふうに私には思えるわけであります。

かつ、その医療保険審議会の中で、いろいろ具体論についても、将来の改革の方向について御議論され、おまとめになっている。かなり議論をされた結果だと思います。それと比べた場合に、今度の与党協議会の結果というのは、かなり後退した、抽象化されてしまったというふうに私には思えるわけで、そういう状況の中で本当にこれから構造改革ができるのだろうか、そういう疑問を持たざるを得ないわけであります。

今回の改正をしてしまえば、三年間何もやらないでまた三年後を迎えることになりかねないのではないか、そういう懸念をしておりますが、塩野谷委員としては、今のようなこういう政府案を通してしまって、それで構造改革が本当にこの三年間進んでいくというふうにお考えかどうか、お聞かせをいただきたいと思います。

それから、鷲尾委員にお伺いいたします。

先ほどの御説明にもありましたように、基本的に、具体的な方向を示した上で負担増を求めていくというお考えだと思います。一年以内に具体案を出せというふうに連合は言っておられるわけですが、その際に、それでは一年間はどうするのか。現実に赤字は出てまいります。その点についてどうお考えか、お聞かせをいただきたいと思います。

最後に、糸氏委員にお聞かせをいただきたいと思います。

先ほど、外来老人の負担増、これ以上の負担増はだめだ、それは患者と医師との間の信頼関係をだめにするという趣旨の御発言があったようにお聞きをしておりますが、どうして、外来患者に対して例えば定率で、医療保険審議会の言っているような定率の負担を求めていった場合にそういう信頼関係が壊れることになるのか。例えば、お年寄りであっても、お店に行けばお金を出して物は買うわけであります。電車に乗っても電車賃は原則払うわけであります。そういう中で、なぜ、国がきちんと枠組みを決めて、その枠組みに従って定率なら定率の負担を求める際に、それが医師とお年寄りとの信頼関係を損なうことになるのか。その辺がよくわかりませんでしたので、ぜひ御説明をいただきたいと思います。

ちなみに、今提案中の介護保険法案も一割の負担を言っているわけでありまして、今のお話の延長線でいきますと、介護保険法案の一割負担もお年寄りとの信頼関係を壊してしまう、こういうことになるのかと思いますが、その点についてもあわせてお聞かせをいただきたいと思います。

町村委員長 それでは、お三方、まず塩野谷さんからお願いします。

塩野谷参考人 先ほど、政府が提出している改正案自身は医療保険審議会の建議書の立場よりははるかに後退しているという意味で、遺憾であると申し上げました。これは、建議書を出した後、どういうふうに事態が進行したかといえば、それは政治プロセスの問題であって、ぜひ、後退をこれ以上しないよう、あるいは少なくとも建議書の線に戻るよう、皆様にこの場でむしろ私がお願いしたいことでございます。

それから、制度の抜本的な改革の方については、既に三党あるいは四党で議論が進められようとして、その問題点としては、老人保健制度とか薬価の問題あるいは診療報酬体系に取り組むということに合意がなされているようでございますので、ぜひ責任を持ってやっていただきたいというふうに思っております。

私は、制度というものは、出来高払いにせよ、患者のフリーアクセスにせよ、結構だ、いいものだと言われますけれども、決してそれ自身で評価されるべきものではなくて、どういう社会的、経済的状況のもとに置かれているかによって、その制度がいいか悪いかが評価されなければならないと思うわけです。

ですから、出来高払いとかフリーアクセスとか、これは立派な制度だから維持したいと言うけれども、それでは、それはどういう状況のもとでワーク、機能したのかといえば、非常に幸運なことに、高度成長によって保険料は非常に潤沢であったとか、医療をたくさん使う老人の数がそれほど多くなかった、そういういわば偶然的な状況のもとで、ある一つの制度が、出来高払いとかフリーアクセスというものがワークしたにすぎないわけであって、現在の経済あるいは人口の社会状況を考えれば、そういう制度というのは何の意味も持たなくなるわけであって、時代に応じた制度というものを考えなければいけないわけであって、かつてはこうであったとか、かつて国会でこう約束していたではないかというようなことは全く意味を持たないわけであって、絶えず制度というのは社会経済環境の中で見直していく、それが社会経済の進化、発展だというふうに私は思っています。

鷲尾参考人 御指摘のように、構造改革、一年以内に案を出せ、その間は凍結しろ、こういう意見を申し上げておりますが、岡田先生御指摘のとおり、その間の赤字をどうするかという問題、今日のような財政状況の中で放置することはできない、こういう御意見は強いだろうと思います。

私どもは、緊急避難措置としての医療費に対する総枠予算の設定という方式を提言したいと思っております。

これは、御承知のとおり、現在、ドイツで、保険医である診療所について制度化されているものでありまして、細かい問題についてはもう少し研究してみなければいけないと思いますが、この医療費支払い方式は、各州ごとに設定されました医療費総額を各保険医ごとの診療報酬点数に応じて配分する方式というふうに聞いております。この制度ですと、診療報酬表に点数だけが示されて、年度末に、全保険医がその年度に得た総点数で総予算を割って点数単価が決まるという制度であります。

したがいまして、医療機関は実際の報酬額を把握できないわけで、必ずしも費用効率化のインセンティブが働かないなどという欠陥を持っているわけでありますが、日本の点数単価出来高支払い制度は、一単価十円と固定されておりますから、理論的には医療費総額が青天井になってしまう、こういうことになっておるわけであります。この出来高払いのもとでは医療供給者による需要誘発が避けられないことから、ドイツでは、御存じのように、今議論になっておりますように、疾患ごとあるいは治療群ごとの包括支払い制度の採用に向けた検討が進められているわけでありまして、私どもも、包括支払い制度の採用など抜本改革を要求しているわけでありまして、その間、ドイツ方式のような総予算枠による抑制というものを考えてみたらどうか。

あくまでも緊急避難的予算措置でありますが、来年度の医療費予算について、例えば対前年度比何%というふうに設定をいたします。九六年度の医療費改定は八年の四月実施でありますけれども、三・四%、医科が三・六%、歯科が二・二%、調剤が一・三%というふうに聞いておりますが、こうしたような数字を参考にしながら、対前年度比何%で総額を考えるということを設定いたしまして、年度末で締め切られる全医療機関の総点数で割って得られる一点単価で最終的に精算するということにしたらどうかなということでございます。これであれば医療費総額は抑制される。

確かに、医療側からの御意見はあるだろうと思いますけれども、これは、抜本改革をすることによって適正な医療費単価が決まるということでありますから、そうした過渡的な状況について容認をしていただければ、医療費改定の総額で抑制して、その分については医療機関も、その分の増収と言ったら変ですけれども、収入増が図られるということでありますから、そういうやり方もあるのじゃないかということであります。

年度末の精算というのは、一年で大変でありますので、月々、例えば一点単価九円で医療機関に概算払いをするというようなことで、後で精算するという方法も工夫としてあり得るのじゃないか、このように考えております。

糸氏参考人 外来老人の負担についてでございます。

医療保険審議会で、日本医師会は定額制で、ほかの方はほとんど定率制を主張されたということは、先ほど塩野谷先生おっしゃったとおりでございます。

なぜ日本医師会はそれほどまでに定額というものに固執するのかといいますと、理由は幾つかあるわけですが、一つは、基本的には、抜本改革というものをやりながらいずれは全保険制度を定率制に持っていくということ自体には、日本医師会は反対しているわけではないのです。ただ、それまでのプロセスとして、一挙に激変を行うということについては、老人は大変だということを一つ申し上げておきたい。

それと、定率制になりますと、従来と違いまして、その都度、医療費が幾らかかるかわからないというお年寄りに対する不安がございます。これが、ついもうやめておこうかということで受診のアクセスの低下につながっていく。そのことが病気の早期発見・早期治療というものをおくらせて、結局、重症化あるいは寝たきり老人という形へ悪化して、かえって結果的に医療費が高くつくのじゃないか、そういうことが一番心配されるわけです。

例えば、老人の定率を行った場合どうなるかと申しますと、老人で、もう死の段階を迎えているような重症者ほど、あるいは寝たきりで寝ている方、こういう方の医療費というのは大体最低十万円から二十万円くらいになると思うのですね。入院しなくても、訪問看護を受けたり訪問診察を受けて、在宅のケアを受けておる方は非常に高い医療費がつきます。また、外来でも、幾つもの病気を持っている方はあちこちの医療機関にかかっているということで、トータルで医療費はかなり高くなります。結局、高い医療費のかかる人ほど、定率ですとペナルティー的に余計払わなくてはいけないということになる。

例えば、私が往診しているある患者さんは、一カ月に、週に一回、ドクターが往診し、週二回、看護婦が訪問看護しますと、これは恐らく十四、五万円くらいになる。従来だったら千二十円で済んでいたものが、定率一割になりますと、一万四、五千円払わなくてはいけない。とたんに負担は十五倍になるわけですね。こういうことが現実に起こってくる。

そうすると、非常に、定率の負担というのが一挙に――徐々にいくのだったらいいですよ。一挙に、千円だったものがいきなり今度一万五千円というような、寝たきりの、しかも死を間近にしている人がおちおち寝てもおられない、看護婦さんにも来てもらえないというようなことになっていいのか。そういう制度というのは、一遍にそこへ持っていくのにはちょっと問題があるのではないか、もう少し段階を経て徐々にやっていくべきじゃないかということを申し上げて、私は、医療保険審議会で、定額制というものをぜひお願いしたい、定率制はできるだけ今回は勘弁してほしい、もう少し段階を経て徐々にそちらへ持っていくのはもちろん反対ではございません、そういう意味で申し上げておったわけでございます。

要は、お年寄りというのは、ちょっと最初に誤るとすぐに寝たきりになりますし、あれあれといううちに死んでしまうわけですね。そういうことで、若い人以上に早く受診させる、早くお医者さんに見せる、それによって寝たきりを少しでも防いでやる、あるいは、寝たきりになったら速やかに正常な状態へ何としてでも戻していくということが大事でございますので、そういう意味で、医療のアクセスというものを阻害するようなことはなるべく避けたいというのは、医療担当者としてのこれは本音でございます。

それで、介護保険が定率制じゃないかという話がございましたが、介護保険そのものは、これは定額でございます。したがって、そのうちの一割負担といっても、これは結局定額ということ、上がもう決まっているわけです。上が、介護保険の入院だったら幾らというふうに定額で決まっていますから、それの一割というのは当然定額になってくる。

ただ、今後、介護保険の審議の過程で一部出来高を認めていくのかどうか、そこの過程を見なければわかりませんが、いずれにしても、どこまでが介護で、どこまでが医療かということを分けていくのは恐らく困難になってくるだろうというふうに考えますし、将来的には一本にしなくちゃいけない。そういう意味で、負担についても、この定額というものと定率というものの整合性をどういうふうにとっていくかということを考えますと、一応、今回は定額という制度でいっておりますが、実質負担は一割の定率とほとんど変わらないし、恐らく、薬剤負担がもし入ってくれば、一割以上の大きい負担、場合によっては、我々の試算では三割程度の負担になりかねないというふうに思っております。

そういうことで、私たちがなぜ定額に固執し、定率を避けたかということについては、定率が全く頭から話にならないという意味ではございませんで、現在の状態からそっちの新しい制度へ移行する一つのプロセスとして、やはり激変緩和をとってほしいということで申し上げておるわけでございますので、御理解を賜りたいというふうに思います。

町村委員長 ありがとうございました。




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