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2001.03.24|マスコミ

特集「政治群像2001」 -戦後世代の対米観

◎安保肩ぐるま世代の志位 ひるまず直言する岡田

進む意識変化

日本の政治、経済、文化に大きな影を落とす米国。体験というプリズムを通すと、 見る人によって全く違う「米国像」が浮かび上がる。「安保肩ぐるま世代」を自称する共産党委員長志位和夫と知米派の民主党政調会長岡田克也。二人の戦後世 代の政治家に、ブッシュ新政権下の米国はどう見えるのか。

「無法な米軍の行動に強く抗議する。米軍の原潜に日本の高校生が乗っている船が沈められた。首相が最高責任者として救援と対策に全力を挙げるのは当然。ゴルフを続けるのは首相にあるまじき態度だ」
二月十四日の党首討論。米原潜衝突事故を取り上げた志位は、舌ぽう鋭く首相森喜 朗に迫った。事故を報じた現地紙を掲げての追及は、他党党首を圧倒した。
志位は「日本だけが対米追従の軍事同盟に牢固(ろうこ)に縛られている」と指摘する。遠慮のない批判は「米国のマインドコントロールを受けていない」(志位)強みゆえだ。

日米安全保障条約の改定をめぐって全国が騒然とした一九五九、六○年。幼稚園児の志位は、千葉市内の反安保デモに父に肩ぐるまされて「参加」。眼下で人 の波が揺れていた。「非常に熱気があり、緊迫していた」と回想する。これが初めて米国と向き合った瞬間だった。 志位は祖父が陸軍少将、父も陸軍幼年学校在学中に終戦を迎えた「陸軍一家」だった。
父は戦後間もなく共産党に入党、七十歳を超えた今も、志位が住む地域の支部長として活動を続ける。

そんな父の背を見て育った志位は七三年、東大一年生で入党。九○年、三十五歳の若さで書記局長に抜てきされた。以来、現議長の不破哲三と二人三脚で、政権参加を 視野に象徴天皇制や自衛隊活用容認、国会運営での野党共闘など柔軟路線を突き進んだ。

志位は今、党委員長としては初めてとなる米国訪問に意欲を燃やす。不破体制の下、九八年、中国共産党との関係正常化が三十一年ぶりに実現。志位は心中、唯一の超大国である米国との関係進展は自らの手で―と期す。
「米国は太平洋を挟んだ隣国。今は日米軍事同盟の関係にあるが、将来的には本当の友好関係を築きたい。米国は民主主義の深い伝統を持っており、評価している。日米関係が重要であることは分かっている」
党綱領は「アメリカ帝国主義」との対決をうたうが、昨年十一月の党大会には、初 めて「宿敵」の米大使館に招待状を出した。米側は出席を見送ったが、対米姿勢は確実に変化を遂げつつある。
共産党にとって、対米関係は、いつかはクリアしなければならない課題。安保条約廃棄の一時凍結に言及するのも、自民党中心の戦後政治の破たんが近いと感じ取っているためだ。  ただ「日米安保の中で成長し、政治家になった人から見ると、安保は空気のような存在。安保は永久不変の存在だという考えにとらわれている人が多い」と言うように 「安保廃棄」が幼少から身に染み付いている志位と「永田町」の間には見えない壁が存在する。

民主党で「ポスト鳩菅」の一番手と目される岡田は、志位の言う、日米安保を「空気」として育ってきた一人かもしれない。
米国観に影響を与えたのは、旧通産省勤務中の体験だ。IBM産業スパイ事件(八 二年)に象徴される日米通商摩擦が激化する中、情報通信やエネルギー分野の日米交渉を経験、米国への関心を強めた。レーガン政権下の八五年、ハーバード大 学国際問題研究所に客員研究員として一年間留学。短期間ではあったが、米国社会を肌で感じた。
「米国では政治家への信頼感があった。日本のように政治をばかにせず、政治に無関心を装っていなかった。政治家のリーダーシップもあった」と振り返り「自分を政治家になろうという気にさせたのは米国だ」と言い切る。
ブッシュ新政権の国務副長官に就任する元国防次官補リチャード・アーミテージとも交流を続ける「知米派」だ。

中学まで三重県で育った岡田は「地方育ちの僕らには六○年安保なんか遠い世界だった」と事もなげに言う。
大手スーパー「ジャスコ」創業者の二男。東大―旧通産省とエリートコースを歩み、九○年の衆院選で自民党から立候補して初当選。若手議員として政治改革の実現に奔走、政界再編の激動の渦に巻き込まれることになった。

「手堅い実務家」のイメージが強いが、九七年末の旧新進党解党時の両院議員総会では、当時の党首小沢一郎に「有権者に対する裏切りだ」と正面から迫り、 硬骨漢を印象づけた。昨年暮れの民主党代表鳩山由紀夫と副代表横路孝弘による改憲論争の際にも「打ち止めにしてほしい」と発言、存在感を示した。

六○年代の高度成長期に青春期を過ごした岡田は日米関係の現状について「経済面では対等の立場で交渉できる状況になったが、安全保障はそこまで行かな い。在日米軍に守ってもらっているという負い目もあるが、ある意味で日本も甘えてきた」と指摘する。
八九年の東西冷戦終結という国際環境の劇的変化を受け「在日米軍基地は、日本を守るというより、アジア太平洋地域で米軍が活動するための基地となっている。日本も応分の負担はしており、安全保障面で言うべきことはきちんと言うべきだ」と主 張、米国への直言にひるみはない。
米国との対等意識に支えられた自信。敗戦、復興に直面し、米国との圧倒的な経済力の格差に打ちのめされた世代につきまとうコンプレックスはない。岡田は「僕より 若い世代にはもっとない」と強調する。

政界で急速に進む世代交代と対米意識の変化。新しい日米関係の構築がこれから始まる。(敬称略)

◎志位、岡田両氏のデータ

志位 和夫氏(しい・かずお)
東大工学部卒。大学在学中の73年、共産党に入党。90年、書記局長に就任し、93年衆院選で初当選、以降当選3回。昨年11 月の党大会で委員長に選出された。テレビ討論や国会での明快な主張は、従来の共産 党イメージを大きく変えた。高校時代は作曲家になるのが夢だった。趣味はピアノ演 奏とクラシック音楽鑑賞。46歳、千葉県出身。

岡田 克也氏(おかだ・かつや)
東大法学部卒。76年、当時の通産省に入省。企画調査官を最後に退職し、76年衆院選で初当選。以降当選4回。93年、自民党を離党後、新生党、新進党などを経て民主党へ。政策通として知られ、昨年9月、 世代交代の象徴として政調会長に抜てきされた。「ほどほどにできない。適当にやれない」がキャッチフレーズ。47歳。三重県出身。




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