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2002.07.31|その他

「活力」の視点から改革を

構造改革の中身は希薄

小泉政権が成立して1年がたった。しかし残念ながら、構造改革の中身が希薄であることがはっきりしてきた。たとえば、小泉政権は不良債権処理を最優先すると強調し、今後3年間で処理を完了するとしているが、実際のところは、銀行の体力の範囲内で処理していくということになっている。これでは、根本的な処理とはほど遠いといわざるをえない。もちろん、小泉政権内でも本格的な不良債権処理をすべきだという声があったと聞いているが、結果としては金融庁の主導で中途半端なものに終わってしまったということである。

特殊法人の民営化問題にしても同じことで、中身が伴っていないことは明らかである。たとえば、何のために道路公団を民営化するのかといえば、それは過大な投資をしないことであり、採算の合わない投資をしないことが最大の目的のはずだったのに、現実には単なる員数あわせに終始してしまっている。これでは「何のための民営化なのか」と疑問を呈せざるをえない。

要するに、構造改革という言葉ばかりが一人歩きしていて、実態は空虚だということだが、あえて付言すれば、改革後の具体的な将来像が見えてこないという批判については、的を射ていない、小泉政権にとっては少々酷な批判ではないかと考えている。たしかに、現状のような閉塞状況の中で、バラ色の将来像を描いてほしいという気持ちを国民が持つことは理解できる。しかし、日本の将来の姿は、現在直面している問題をいかなる方法で、そしていかなるスピードで乗り切っていくかによって変わってくる可能性があるからである。つまり、山を乗り越えたあとにどのような桃源郷が待っているのかがわからなければ、山は登れないというのは、いかにも「ためにする議論」ではないかということである。いま重要なことは、眼前にそびえ立つ山をいかに乗り越えていくかである。その山を乗り越えるための政策論議を深め、最良の方法を選択して早急にそれを実行に移すことではないだろうか。

リスクをとる

多くの国民にとって、実感はないかもしれないが、日本経済は景気循環的にはよくなっていることは確かである。したがって、日本はこのチャンスを逃すべきではない。日本経済を再生させるポイントは民間の活力にあるのだから、政策的には民間活力をいかに引き出すかにつきると思われる。具体的には、小泉内閣が「改革工程表」にあげたような規制改革をよりいっそう押し進めながら、民間がリスクをとることができるようにすることである。政府の役割は、民間がリスクをとることができるような環境整備をすることなのである。

資本主義経済システムの基本はリスクをとることにある。著名な経済学者であるJ.シュンペーターは企業家によるイノベーションを「新結合」という言葉で表現したが、リスクをとりながら新しい挑戦を行なうことが経済を発展させていく鍵なのである。繰り返しになるが、民間はリスクをとって積極的にチャレンジする、政府はそれができるような環境整備を行なう、それが日本経済を再生させるポイントなのである。

中国経済の台頭で、日本の企業、とりわけ製造業にとっては逆風が吹いている。しかし、私は中小企業の方々に改めて次のように強調したい。すなわち、大変化の時期は、従来のやり方を続けていこうとする人々にとってはアゲンストの風になるが、発想を変えればそれは大きなチャンスでもあるわけで、新たな環境にチャレンジするという気概で取り組んでいただきたいということである。そのような企業のがんばりがあれば、全体としての日本の景気もよくなるはずである。

「活力」の視点からの税制改革を

ところで、いまの日本経済を考えるときに、税制改革の議論を避けて通ることはできない。私は、税制改革に当たっては、「活力」という視点をもっと取り入れていくべきだと考えている。企業活力という観点からいえば、研究開発や設備投資に対する優遇税制や減税が考えられるべきだし、国際的にみて高いといわれる日本の法人税率を国際水準並みに引き下げていくことも選択肢としてはありうるだろう。

中小企業や個人という観点からみると、相続税の問題も重要である。もちろん、相続税の税率を大きく下げるべきだという立場ではないが、たとえば中小企業のオーナーがなくなって、相続税を支払うために企業を手放さなくてはならないような状況は避けなければならない。そのようなシステムのもとでは、経済活力が失われていくことは明らかだからである。現行の相続税率(配偶者と子2人で9000万円まで非課税)を、少なくとも1億5000万円程度までは引き上げるべきではないだろうか。

また、相続税と贈与税を一体として捉えるという考え方は、経済効果という観点からみると説得力はあると考えている。人生80年時代を迎え、女性の平均寿命は90歳に近づいている。高齢化時代を迎え、親からの相続を受ける時点で子どもはすでに定年を迎えているというのでは、お金は貯蓄されつづけるだけである。理想的には、独立、結婚、育児や教育といった人生の節目節目のお金が必要なときにお金が回るようにしなければならない。そのためには、相続税と贈与税を一体として考え、ニュートラルにしていくことが、経済活性化という観点からみて意味のあることだと思われる。

再挑戦できるシステム作りを

日本経済の「活力」を生み出すためのもう一つの方策は、たとえ「失敗」をしても立ち直ることができるような社会システムを構築することである。実際のところ、自己破産や廃業といった話が私自身の周辺でも少なからず聞こえてくる。しかし、いまの日本の法体系では、ひとたび「失敗」すると、それまでの蓄積を全部はきださざるをえず、「失敗」した経営者はすべてを失ってしまうことになる。

アメリカでは、たとえ事業に「失敗」しても、最低限の住居と車1台の保有は認められているという。最低限の生活基盤は残す、という考え方である。それは、「失敗」した個人が再び挑戦することを可能にする社会システムだといえる。

ところが日本では、たとえば個人保証をしていると、最低限の生活基盤さえ失ってしまう。優秀な経営者が一夜にして「失敗」者の烙印を押されてしまうのである。そのようなシステムは果たしてよい社会システムといえるだろうか。1円でも多く回収したいという債権者の気持ちもわからないではないが、事業に失敗したした人が再建に向けて努力できるような部分を残しておく仕組みは、結局のところ債権者の利益につながることになるかもしれないのである。むずかしい問題は多々あるだろうが、現行の破産法は見直されるべきではないだろうか。

また、とかく経営者は責任感が強く、周囲によい相談相手がいればいいが、そうではない場合には、一人でなんとかしようと悩みつづけ、二進も三進もいかなくなるまでがんばってしまいがちである。しかし、難局に直面したときに必要なことは、できるだけ早い段階で、冷静になって頭を切り換え、業務縮小なり、撤退なりに踏み切ることである。

いかに優秀な経営者でも、たった一人で困難に立ち向かうのは容易なことではない。中小企業の経営者が気軽に相談できるようなシステム作りが必要であり、その受け皿となりうるようなプロ集団の育成も同時に求められているといえるだろう。現行破産法の改正と、危機に陥った企業のためのコンサルティング集団の育成は、リスクのコストを下げることを通じて、企業人のリスク志向を高め、ひいては日本経済の活性化に役立つはずである。(談)




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