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2003.03.14|マスコミ

民主党改革で政権政党への脱皮を

聞き手/大下英治

≪リーダー論での菅さんとの違い≫

――鳩山さんの今回の自由党との連携構想は、岡田さんも寝耳の水だったのですか。



岡田 ええ。どこまで事実かわかりませんが、中野(寛成)さんも、そうおっしゃってました。マスコミが、いろいろな動きを報じていたので、十一月二十九日の朝、わたしは中野さんに「一度役員会を開き、そこで代表に真意を説明してもらうべきです」と申し上げた。その後、鳩山さん、中野さん、わたしの三人が相談し、週明けの十二月二日の月曜日に役員会を開くことを決めた。そのとき、鳩山さんが「今日中に記者会見を開く」とおっしゃったので、中野さんとわたしは「役員会を開いた後のほうがいい」と反対したんです。しかし、鳩山さんの決意は固かった。「自分の進退を懸けて自由党と連携を深めていくことを是非いいたい」というので、「政治家鳩山由紀夫としてそこまでおっしゃるなら、われわれは賛成はしないが、止めてことはできませんね」ということになり、夕方、記者会見を開くことになった。

――鳩山さんは、記者会見後、すぐさま自由党の小沢一郎党首と会談しましたね。

岡田 月曜日には、役員会を開くことが決まっている。できれば、土日は静かにしてもらいたいと思っていた。しかし、小沢さんと会談するなど積極的に動き、どんどん既成事実ができてしまった。そのような状況で月曜日に役員会が開かれた。役員会では、「とても容認できない」「まったく相談を受けていない」「このような大事な話は、代表といえども勝手に進められるはずがない」といったかなり厳しい、事実上、代表辞任を迫るような声が相次いだ。鳩山さんは、「自由党と合併するとはいってない。連携を深めるために動いた」と釈明されたが、それが事実なのか、事実に反するのか、わたしにはわかりません。いずれにしても、心理的に追い詰められた状況のなかで最後の賭けに出たということだと思います。わたしは、この構想をぶちあげていなければ、鳩山体制は持ったと思います。その意味では、残念です。

――ポスト鳩山には、菅さんと岡田さんの名前が上がりました。岡田さんは、どの時点で立候補しようと決意されたのですか。

岡田 正直なところ、鳩山さんが正式に辞任を表明するまでは、まったくその気はありませんでした。

――若手議員は九月の代表選のときも岡田さんを推していましたが、岡田さんは固辞された。代表選の直後、わたしが岡田さんに取材したとき、その理由について「民主党の代表ならなれる。しかし、政権交代が起これば民主党の代表=総理大臣だ。自分なりに勉強はしているつもりだが、まだ準備が整っていない」とおっしゃってましたが。

岡田 その基本認識は、変わっていない。ただ民主党の取り巻く状況が変わったということなんです。結党以来の危機を迎え、後のない状況になった。一体感がなく、国民の支持も離れている。党の建て直しを図らなければならない。総理になるための準備とは次元のちがう役割を果たさなければいけない。菅さんは、すでに代表もやっておられるし、幹事長もやっている。従来の延長線では何も変わらない。リーダーを変えるべきだ、という判断で立候補を決断しました。

――その時点では、どのようなリーダー像を思い描いていたのですか。

岡田 菅さんと二人きりで話したとき、菅さんは「自分が民主党のリーダーになり、国会や街頭で小泉自民党政権を厳しく批判していくなかで、民主党の支持を高めていく」とおっしゃった。

――話し合いによる一本化を狙った菅さんとの十二月五日の国会図書館内での会談のときですね。

岡田 ええ。それに対してわたしは、「それはもちろん重要なことですが、それだけで支持が上がるわけではない。やはり、民主党そのものの改革しないといけない。国会などでいくら個々の議員が発言しても、具体的な力にはならない。党改革、そして民主党所属議員の意識改革がまず必要である。それができるリーダーでないといけない」と申し上げました。そこは、菅さんとわたしのリーダー論で一番ちがうところですね。―なぜ代表選で菅さんに敗れたか―

――当初は、九月の代表選で鳩山さんを担いだグループが岡田さんを推し、岡田さんの有利が伝えられていました。ところが、世代交代と抜本的な党改革を掲げたことが、改革へのアレルギーを呼び、菅さんの巻き返しを許す結果になったと見られています。

岡田 投票前に両院議員総会で選挙公約を配布することになっていたので、党改革のプランをまとめたわけですが、そのなかのごく一部が故意に取り上げられた感じがします。たとえば、選挙公約には「衆議院比例代表単独候補の廃止」などは掲げていません。なぜかといえば、この方針は一年以上も前の常任幹事会ですでに決めていることなんです。しかし、現職の比例代表単独選出議員に「今度は、小選挙区から出てください。そうでなければ、次はありませんよ」と宣告するのは、やはり勇気がいる。だから、先送りしてきた。基準に従って早く具体化する。決めたことをやっていくのが、執行部の仕事です。当たり前のことですから、あえて書きませんでした。

――それが、一人歩きしたわけですね。

岡田 ええ。「岡田が代表になれば、例外は認めないだろう。次の選挙では、比例代表単独候補はなくなる」と出所不明の噂話で強調された。――定年制の導入は。岡田 それは、書きました。ただ、選挙ですからマイナス・イメージの部分だけをワッと流すことはやむを得ないとしても、それに左右されるなんて、子どもみたいな選挙ですよ。国会議員は、政治のプロなんですから、そのようなことだけで動かされてはいけない。流すほうも流すほうだけど、それを真に受けたひともいるとすれば、きわめて情けない気がします。

――「多数決による党の意思決定」も、打ち出したのですか。

岡田 ええ。だからといって、なんでも多数決でどんどん決めるということではないですよ。議論を尽くし、それでもまとまらなければ、最後は多数決で決める。

――菅さんが「菅代表?岡田幹事長構想」を打ち上げたことも、かなり効いたのでは。岡田さんを支持していたひとも、岡田幹事長になるならいいかと考え、菅さんに票が流れたと。

岡田 いるかもしれませんね。

――投・開票の結果、百四票対七十九票で菅さんが当選した。予想外の票差でしたか。

岡田 そうですね、勝つつもりでいましたから。戦前の予想では、その逆くらいの結果になるという見方があったので、その意味では少し意外でした。菅さんと自民党執行部のひとたちのもとへあいさつに行ったとき、その話題が出たので、わたしが「六十五歳定年制導入で十票、比例代表単独候補廃止で十票」といったら、菅さんが冗談めかして、「くわえて、菅代表?岡田幹事長で十票」といってました。多くの若手議員がわたしを支持してくれましたが、そんなかれらと菅さんを支持した議員の民主党の現状に対する考え方がちがったということだと思います。未知数のわたしをリーダーにするという大きなリスクを取らずに、現状維持を取ったということでしょう。

――幹事長になった経緯は。

岡田 代表選が終わった直後、菅さん、鳩山さんの三人で話していたとき、菅さんから要請されました。わたしは「もう一回考えたほうがいいですよ」と申し上げたのですが、「ぜひ」といわれたので引き受けました。政治のプロのような方から、「いったん断るべきだった」「持ちかえるべきだった」といわれましたが、その日から党がきちんとまとまっているという印象を国民に与えることも大事です。引き受けた後すぐにNHKテレビとテレビ東京に中継で出演できたのでメッセージは送れたのではないかと思っています。

敵はあくまでも小泉政権です

――新体制で、すでに取り組んでいる党改革は、なにかありますか。

岡田 ええ。たとえば、来年から党の経理に全面的に外部監査を入れます。そうすれば、不透明な金の流れはなくなります。

――自民党であれば、永久にできないことですね。

岡田 また、小さなことですが、代表や幹事長に与えられていた特権も廃止します。これまで代表と幹事長に支給される海外出張の費用は、青天井でした。しかし、議員の場合は最高五十万円という基準がある。代表と幹事長も、それを適用します。新人候補に対する資金援助も、来年度は一億円ほど上積みする予定です。それも、全員一律ではなく、よりしっかり活動しているひとに多く資金が渡るようなメリハリをつけていきます。

――民主党は、若手議員が人事をはじめ文句をいいすぎるような印象を受けます。バラバラ感があり、党の体をなしていないという厳しい見方もありますか。

岡田 それは、マスコミの伝え方にも問題があるのではないかと思います。ただ、十分にコミュニケーションが取れていないということも事実です。新体制となったまだまもないですが、この間、全国幹事長会議や新人研修会を開いて意見を聞きました。それから、両院議員懇談会を三回ほどに分けて、それぞれ二時間くらい意見交換をしました。そのようなかたちでコミュニケーションをはかっています。国会議員は、わずか百八十名です。コミュニケーションが取れないはずはない。伊藤忠商事の丹羽(宇一郎)社長も、対話による意識改革で会社を再建しました。若手議員でも、面と向かってマスコミにものをいうのはごく一部なんですね。多くのひとは、いろいろな意見があっても、外に向かっていわないくらいの賢明さを持っています。

――来年の通常国会では、有事法制が審議されます。どのような対応を取りますか。

岡田 有事法制が必要なことは、前々回の国会で合意しています。議論が進めば、まとめる自信はあります。今度の通常国会では、党内で十分な議論を踏まえたうえで、民主党の案はこうだ、という法案を出すことになるかもしれません。

――それで、まとまればいいですが、どうしてもまとまらない場合は、党議拘束を外すということも考えていますか。

岡田 個人の信条というか、たとえば臓器移植のような、ある意味で死生観のような法案は外すかもしれません。しかし、国の根幹に関わる大事な問題で党議拘束を外すようでは政党ではありません。

――十二月二十四日、熊谷さんら五人が民主党を離党し、保守党と保守新党を結成しました。当初、離党者は十数人にのぼると伝えられていましたが。

岡田 名前が取り沙汰されているひとにいろいろとあたってみましたが、十人を越えることは絶対にないと確信していました。五人という数も、予想した最小限に近かった。もっとも少ないケースは、四人だと思っていましたから。

――党改革を大胆に進めていくと、離党者が増えるという不安もありますか。

岡田 そのようなことも、あるかもしれません。しかし、今度の保守新党に対して国民の期待が高まるとも思えない。とにかく、民主党はこれからしっかりとした存在感をしめしていけば、求心力は出てくると思います。それに、われわれは、保守新党と戦うわけではありません。敵は、あくまで小泉自民党政権です。そこは、間違えないようにしたいと思います。

新党が人気を呼ぶ時代ではない

――野党結集については、どう進めていきますか。菅さんは、自由党の小沢党首と碁を打つ仲のようですが、岡田さんは勝手に新進党解党を決めた小沢さんのことを、あまり快く思っていないと伝えられてますが。

岡田 それは、ありません。小沢さんは、立派な政治家ですし、尊敬もしています。この問題は、菅さんとわたしはほとんど違いがありません。完全に一致しています。新しい党をつくるとか、統一会派を組むとかは、プラスマイナスがあります。そこはきちんと見定めるべきです。しかし、いずれにしても総選挙の日は近い。各党の候補者がバッティングしないよう、できるだけ選挙協力は急がなければいけない。仮に一つの党になるにしても選挙区調整は必要ですから。

――社民党とも、選挙区調整はおこなうのですか。

岡田 もちろんですよ。ただし、ギブ・アンド・テイクで、うまく話がまとまるかどうかですけど。

――自由党との統一会派や合流構想は、先の話になるわけですね。

岡田 百%ないとは、言い切れません。しかし、選挙のタイミングなどを考えるとなかなか難しいと思います。新党をつくれば人気が出るという時代でもない。それに、いっしょになるよりも、小沢自由党、土井社民党でいったほうがトータルとしての野党の比例票は増えます。自由党は、「比例代表で票を稼ぐためには、当選するのは無理だとわかっていても、選挙区でたくさん候補者を立てないといけない。そうなれば、民主党候補とバッティングしてしまう。それでは、民主党も困るでしょう」といわれる。しかし、わたしはかならずしもそうは思わない。強い候補なら別ですが、当選ラインに遠くおよばないような候補者では、候補者を立てない選挙区より比例票が2ポイント増えるくらいです。そのような候補者を五十選挙区に立てても、ほとんど関係ない。それだけの資金があるのなら、むしろテレビコマーシャルに使ったほうが、はるかにいい結果を全体におよぼすと思います。相乗効果によって、1+1が3や4になるならいい。しかし、おたがいのいいところを潰しあい、票が減る可能性もある。党によって文化もちがいますし、いまの段階では、合併を急ぐのではなく、それぞれが協力してがんばるしかないと思います。

――小泉政権の支持率は、ここのところ急速に落ちはじめています。攻める側からすれば崩しやすくなったのではないですか。

岡田 攻撃は、しやすいですね。構造改革を呼んでも現実にはほとんど実現していないことが国民の眼にも明確になってきたと思います。

――小泉失政が明らかになり、民主党の改革の青写真が国民に浸透していけば、政権交代は可能だと思いますか。

岡田 もちろんです。今年が重要な年になります。民主党改革を実現していくなかで、政権を担いうる政党であることをアピールしていきたい。




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