[近聞遠見]岡田克也の「隠れた一面」
先週、<小小戦争>は面白くなる、と書いたら、2日後に片方の<小>が消えてしまった。一体、民主党内はなにがどうなっているのか。
19日付の<鳩山由紀夫メールマガジン>によると、17日、小沢一郎代表代行から、
「代表就任を辞退したい」
と言われ、耳を疑った。国民年金の義務化以前の未加入なら法的責任は生じないのだから、辞退の必要はないのではないか、と翻意を求めたが、小沢はこう述べたという。
「いや、そうではない。政治責任がまったくないとは思わない。小泉と同じ時期に未加入ならば、小泉を追いつめられないじゃないか。小泉と刺し違える覚悟で代表になることはやめる。それが小沢美学だ。許してほしい」
と――。
しかし、刺し違えどころか、小泉純一郎首相はけさ、勇躍平壌に飛んだ。小沢辞退をめぐっては、さまざまなうわさが流れているが、いずれ真相が浮きでてくるだろう。
<小沢美学>のお陰と言うべきか、意外な展開で、岡田克也新代表が生まれた。若手起用で騒がれた自民党幹事長の安倍晋三より1歳年長だけの50歳だ。62歳同士の<小小>対決かと思われたのが、一転若返りである。
政調会長、幹事長をソツなくこなし、酒を飲まない、面白みの乏しい堅物、というのが党内のほぼ一致した岡田評で、
「性格が権威主義的、包容力に欠ける」
という若手の声も聞いた。
だが、次のような秘話もある。
99年夏のコソボ、虐殺とNATOの空爆が終わったあとのことだ。大量の難民が発生した。
国際ボランティア活動に長年従事した異色議員、藤田幸久民主党国際局長のことは前々回の当コラムで紹介したが、このとき新人の藤田は、
「人道支援をすべきだ。難民救済のため隣国のマケドニアに民主党の事務所を開設したい」
と提案する。藤田が出掛けることになるが、外務省は危険地域に国会議員が入ることに強く反対した。菅直人代表も、
「一人で行かせるわけにはいかない」
と言うが、だれも手を挙げない。そのとき、岡田が、
「ぼくが行きます」
と申し出た。
2人でコソボ入りする。現地では、戦火の煙が立ちこめるなか、イタリア軍司令官のもとで日本人の女性ボランティアが十数人、地雷除去のために懸命の活躍をしていた。感激した岡田は、
「数カ月後に必ずまた来ます」
とボランティアたちに約束する。年末、岡田は、
「行こう」
と誘ったが、藤田が渋ると、一人で慰問に出向いていった。今度は自腹で。いま、藤田は、
「恥ずかしながら総選挙も近く、私は決断できなかった。岡田さんは地味で不器用かもしれないが、心に感じたら実行する情の人だ。決断力もある」
と言う。
幹事長時代、落選議員の地元をたんねんに訪ね歩き、激励したことがあった。だれも知らない。議員の一人は、
「14~15人回ったはずですよ。なかなかできないことです」
と漏らした。
隠れた一面である。一昨年暮れ、岡田が幹事長、野田佳彦が国対委員長、枝野幸男が政調会長に就任したとき、社民党の福島瑞穂幹事長(当時)からお祝いの花が届いた。
岡田はすぐに送り返しただけでなく、野田らにも返すように勧めたという。小泉も贈り物を一切、受け取らない。
<潔癖対決>か。これも、面白いかもしれない。
(取材・構成 細川珠生)