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2006.02.14|国会会議録

164-衆-予算委員会-11号 平成18年02月14日

岡田委員 民主党の岡田克也です。
きょうは、戦争観とかアジア外交を中心に、三人の、外務大臣、官房長官、そして直接の所掌ではないかもしれませんが、財務大臣にお話を聞き、議論をしたいというふうに考えております。

私は、これからリーダーになる可能性が高いとされる三人の皆様に、こういった問題についてしっかりとしたお答えをいただき、そして私自身、日本という国 の先行きを憂えている一人であります、これからの政治のありようによっては国民が大きな困難に直面するということも考えられるわけでありますから、そうい う視点で質問をさせていただきたいというふうに考えております。
まず、外務大臣にお聞きしますが、六十年前の戦争について、あれは自存自衛のための戦争であってやむを得なかった、こういう見方が一部にあります。この考え方について、麻生大臣はどういうふうにお考えでしょうか。

麻生国務大臣 これは、外務大臣としてお招きをいただいてここに出ておりますので、そこのところだけあらかじめお断りをしておかぬと、話が混線しますといけませんので。

御存じのように、さきの大戦にかかわります政府の見解というものは、昨年の小泉総理談話というものに述べられておりますとおりで、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明するというものであったと思っております。
これに関しましては、平成七年の村山内閣の談話とか、また昨年の四月にジャカルタで行われましたアジア・アフリカ首脳会議における小泉スピーチ等々にお いて出されておりまして、これまで一貫したものだというように私どもは理解をいたしておりますので、アジアの国々に対して等々、いろいろ述べられておりま すのは、もう御存じのとおりであります。政府の見解として、外務大臣としての見解もこれも一にいたしております。

岡田委員 今、麻生大臣は外務大臣としてと言われましたが、もちろん外務大臣であります。しかし同時に、政治家としてのお立場もあると思います。それが、もし、今のお話は一致していないということですか、基本的に。

麻生国務大臣 そういう御質問が出てくるだろうと思って、あらかじめお断りを申し上げたんですが、今私がここで呼ばれております感じとして、職務に忠実に答えておると思っております。

岡田委員 それでは、もう一度聞きますが、私の質問に対してお答えいただいていないんですが、六十年前の戦争は自存自衛の戦争であってやむを得なかったという見方に対して、どう考えておられますか。

麻生国務大臣 さきの大戦につきましては、これはいろいろな方々が諸説、いろいろ述べておられますのは御存じのとおりでありまして、アメリカに対して侵略 戦争であったかとか、アジアに対してはそうであっても中国は違ったとか、いろいろな御説があるところだというのは、私も知らないわけではありませんけれど も、さきの戦争に対しましての見解は、今申し上げたとおりです。

岡田委員 私の質問に答えていただいていないんですが、自存自衛のための戦争であってやむを得なかったという考え方に対して、外務大臣、外務大臣の立場でも結構ですよ、どうお考えなんですかと私は聞いているわけです。ちゃんと答えていただきたいと思います。

麻生国務大臣 さきの大戦に対する考えにつきましては、先ほど何回か申し上げておりますとおり、痛切な反省と心からおわびを申し上げておりますので、自衛 の戦争だという点だけを強調すれば別に反省する必要もなかったではないかとか、またこれはいろいろ御説はいっぱい出てくるところなんでして、そういったこ とではなくて、痛切な反省をしておわびの気持ちを表明するというものだと思っております。

岡田委員 反省はもちろん必要なことだと思いますが、自存自衛のための戦争であったという見方に対して否定されないんですね。

麻生国務大臣 その当時の事情、ABCD包囲網、いろいろ表現はあろうかとは思いますけれども、戦争として結果として負けております。自衛の戦争のためで あろうと何であろうと、負けた戦争でもありますし、果たしてそれが自衛のための戦争であったかということに関しましては、後からこの戦争は自衛のためだっ たとかいろいろなことを我々が言っても、私どもとしてはなかなか証明もしにくいところでもありますし、私どもとしては、侵略戦争の部分があったということ は否めない事実だと申し上げております。

岡田委員 私は非常に今驚いているわけですが、自存自衛のための戦争であってやむを得なかったということに対して、明確に否定はされないということですね。
もちろん私も、戦争に至るに至っていろいろなことがありました。そのときの英知を尽くして当時の日本国政府も国民も対応したんだと思います。しかし、あ あいう戦争になった。別に白黒一〇〇%つけられる問題ではないという見解は私も持っております。しかし、自存自衛のための戦争であってやむを得なかった、 やむを得なかったということに対して明確に否定されないとすると、それは一部肯定しているということになりますよ。それで本当にいいんですか。

麻生国務大臣 言葉をいろいろあげつらって言われるといろいろ話がまた込み入ってくるんですが、これは、この戦争に関しましては歴史の判断するところだと は基本的にそう思っております。ただ、私どもとして、先ほどから何回も申し上げておりますように、この戦争はやむを得ないための自衛の戦争だったと申し上 げたことはないと思いますが。

岡田委員 私の質問に対して答えていただいていないわけですよ。自存自衛のための戦争であってやむを得なかったという見方に対して、これを否定するのか、あるいは一部であっても肯定するのか、そのことを問うているわけです。

麻生国務大臣 そのことに関しては歴史が証明するところだと思ってはおりますけれども、少なくとも政府としては、あの戦争に関しては侵略戦争だった等々の 話は、もう一連ずっとこれまでの政府見解で述べておりますとおりであると申し上げておりますので、やむを得ざる戦いだったというようなことをしたことはな い、ということを答弁したことはありませんので、その一部だけとらえて言われると少々、ちょっとそれは違うんじゃありませんかということになる。お答えし ていると思いますが。

岡田委員 今の答えも政府としてはということで、麻生大臣としてのお考えは避けられたというふ うに私は受けとめましたが、官房長官、いかがですか。同じ質問をします。あの戦争、六十年前の戦争は自存自衛のための戦争であってやむを得なかったという 考え方に対して、どう考えておられますか。

安倍国務大臣 政府の見解につきましては、ただいま外務大臣の方から御紹介をしたとおりであります。さきの村山談話、あるいはジャカルタにおいての総理の談話があるわけでございます。

そしてまた、歴史というものはある種の連続の中に存在するわけであって、では、さきの大戦の中にあってどこをどう取り上げていくかということもあるわけ でありまして、そこは、我々は、本来は政府の立場でそれをまさに歴史の裁判官としてこうだと言うべきではないんだろう、こう思います。あくまでもそれは歴 史家に任せるべきではないだろうか、このように思うわけでありまして、政治家が発する、あるいは政府の立場で発する言葉は、これは歴史とは離れて政治的 な、またあるいは外交的な意味を持つわけであります。その中において、これは村山談話等々において我々は既に立場を表明している、こういうことではないだ ろうか、このように思うわけであります。

岡田委員 今、麻生大臣もそして安倍官房長官も、はっきりとこれは歴史家の判断にまつべきだと言われました。この点については、後ほどまたぜひ議論したいと思います。私は、そうではないという考え方を持っております。
それでは次に、東京裁判についてどういうふうにお考えなのか、今度は外務大臣にお願いします。

麻生国務大臣 東京裁判に関してのいわゆる外相の見解やいかにということなんだと思いますが、少なくともこの極東軍事裁判というものなんだと思いますが、これにつきましてどういうような考えを持っておるかという御質問ですか。

どういう考えを持っているか。少なくともこの極東軍事裁判所におきましては、被告人が平和に対する罪によって犯罪を犯したとして有罪判決を受けたという ことが事実なんだと思っておりますが、どういう感想を持っておられるかという意味がちょっとよくわからないんですが、この戦争、意味、あれにつきまして は、そういう意味です。そして、それが、サンフランシスコ平和条約第十条だか十一条だったかと記憶しますが、それによりましてこの極東軍事裁判というもの の裁判を受諾しておりますということもまた事実だと思いますので。それだけです。

岡田委員 官房長官はいかがですか。

安倍国務大臣 極東国際軍事裁判所において、被告人は基本的に平和に対する罪、そして人道に対する罪で取り調べを受けたわけであります。いわゆるナチスの 戦争犯罪人の人たちは人道に対する罪でも有罪であったわけでありますが、あの東京国際軍事法廷においても、日本は人道に対する罪においては有罪にはなって いないというわけであります。それをまず踏まえておく必要があると思うんですが、そして、いわゆる平和に対する罪において有罪の判決を受けたということで ございます。

日本は、このサンフランシスコ平和条約の第十一条により、極東国際軍事裁判所のいわゆるジャッジメンツを受諾しているわけであって、この裁判について異 議を述べる立場にはない。異議を述べる立場にはないということでございますが、それ以上のものでもそれ以下のものでもない、こういうことではないか、こう いうふうに思います。

ただ、誤解している方々がおられて、アカデミックな分野、または一般の国民がこれについていろいろな議論、研究をすることもいけないと思っている人たち がいるんだと思うんですが、そんなことは全くないわけであって、政府として、あの裁判は間違っているから例えば損害賠償を請求する、そういうことはしな い、こういうことではないだろうかと私は思っております。

岡田委員 私もいつか国会の場で述べたことがあると思いますが、東京裁判そのものに対して、一〇〇%これをこれでいいという気持ちは私も持っておりませ ん。やはり勝者が敗者を裁いた戦争だという側面もあるし、あるいは、そのときになかった罪がつくられて裁かれたという部分もありますから、これを一〇〇% 私は何の疑問もなく受け入れるという立場には立っておりませんが、しかし、東京裁判というものを日本国政府が受け入れた、こういうことでありますから、こ れを、東京裁判そのものが意味がなかったとか、そもそも無効である、こういう立場というのは、私は当然そういう立場には立っていないわけであります。

安倍長官に一言だけ確認しておきますが、前回この予算委員会の場で同じ東京裁判の議論が出た折に、これは末松委員だったと思いますが、東京裁判のジャッ ジメントを受諾したという言い方をされたと思うんですが、これは東京裁判ということと意味が違うんですか。

安倍国務大臣 いわゆる正文は英語でございますので、正文の英語の部分についてはジャッジメンツになっているということでございまして、日本において種々議論がございますので、この英文にのっとって、いわゆる正文についてそう申し上げたわけでございます。

岡田委員 そうすると、官房長官は、東京裁判を受諾したという考え方に対して疑念があるということですか。

安倍国務大臣 それは先ほど申し上げておりますように、いわゆる極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している、そして異議を申し立てる立場にはないというのが政府の見解でございます。

岡田委員 東京裁判を受諾しているということでよろしいですね。

安倍国務大臣 今申し上げましたように、私は、もともとの正文である英文を引用してジャッジメンツと申し上げたわけでありますが、政府においてはそれは裁 判ということで訳しているわけでありますが、基本的には、要はこれは何を我々は受諾をしたかといえば、先ほど申し上げましたように、この判決について、ま たこの法廷もそうなんですが、それも含めて、我々が異議を申し立てて損害賠償等々をする、そういう立場にはない、こういうことではないだろうか、こう思い ます。

岡田委員 東京裁判で有罪判決を受けたいわゆるA級戦犯について、私は小泉総理と議論をしたことがあります。そのときに小泉総理は、A級戦犯は戦争犯罪人であるというふうに言われたわけですが、外務大臣、同じ認識ですか。

麻生国務大臣 戦争犯罪人という定義は国際軍事法廷における見解でありまして、それが日本の裁判に基づいて犯罪人であるかということになりますと、明らか にそれは、重光葵A級戦犯は後に勲一等を賜っておられますので、少なくとも日本の国内法に基づいて犯罪人扱いの対象にはなっていないということですが、戦 争犯罪人というのは、極東軍事裁判所によって決定された裁判において犯罪者として扱われているというふうに御理解いただいたらいいんだと思いますが。

岡田委員 これは国内法において有罪判決を受けたというわけではないというのは、それはそのとおりであります。しかし、東京裁判というのはそういう国内法 を超越するものとして、超法規的という言い方がいいかどうかわかりませんが、それに上位する概念として東京裁判というものがあって、そこで有罪判決を受け た、そこの認識はよろしいですね、外務大臣。

麻生国務大臣 極東軍事裁判所の裁判を受諾したということであります。
ジャッジメンツの話を言っておられる方もよくいらっしゃいますけれども、これは、ジャパン・アクセプツ・ザ・ジャッジメンツと書いてあって、その後、ア ウトサイド・アンド・インサイド何とかとずっと文が出ていますので、B級戦犯、C級戦犯含めまして、複数の裁判所の決定に皆従うという意味で、ジャッジメ ンツというぐあいに複数になっているというように理解するのが正しい英語の理解の仕方だと存じますので、裁判所の判決ではなくて裁判を受諾したというよう に、サンフランシスコ講和条約第十一条はそれを意味しているものだと理解しております。

岡田委員 今、麻生大臣は重光氏のことを言われましたが、こういう議論は時々出てきます、官房長官もそういうことをかつて言われたことがあると思うんです が。ただ、重光氏の場合には、有罪判決を一たん受けながら、赦免された。そしてその後、国内で御活躍されたということであります。しかし、そのことが、そ の後御活躍をされたということが、かつて東京裁判において犯罪者として裁かれた、そういう判決を受けたということを無効にするものではもちろんないという ふうに考えるわけであります。
そういう意味では、その後、重光氏が活躍をされて、あるいは勲章まで受けたということが、東京裁判そのもののその効力を否定するものではないというふうに私は考えますが、官房長官、いかがですか。

安倍国務大臣 今、委員は何をもってその効力と言っているか、私はそこがよく理解できないわけでありますが、いわば連合国によって東京国際軍事法廷が開か れたわけであって、そこで被告となった人たちが、平和に対する罪、いわゆるA級戦犯はそうですが、平和に対する罪によって有罪判決を受け、七名の方々は死 刑になったということでございます。しかし、サンフランシスコ条約の第十一条については、つまり、そういう人たちを連合国の承諾なしには勝手に釈放しては いけないというのが十一条なわけでありまして、その後、我々は何回かの、累次にわたる国会における決議等々を積み重ねていく中で、国民の圧倒的な支持のも と、連合国と交渉をした結果、先にA級戦犯、そしてBC級戦犯が釈放されたというのが歴史的事実なんだろう、こう思っているわけであります。では、国内に おいてどういう立場かといえば、これは、我が国が主体的にこの人たちを裁いたわけではないというのも、これはまた事実であろう、こう思っています。

岡田委員 今のお話ですが、確かに赦免、減刑あるいは仮出獄ということは認められておりました。しかし、赦免というのは、そのもとになった東京裁判の判決そのものを無効にするものなんですか。そういうふうに聞こえますよ、今のお話は。いかがなんですか。

安倍国務大臣 私はそれを無効にするということは一言も申していないわけでありまして、サンフランシスコ条約を我々はもちろん受諾、ここで我々もサインを しているわけであって、その中で十一条において書いてあったことを述べたわけでありまして、その手続に沿ってその人たちを赦免した。そして、当時は国民の ほとんど、多くの人たちはそれを支持していたという事実を申し上げたわけであって、つまり、この人たち、このA級戦犯、まあ、BC級も含んでもいいんだろ うと思いますが、連合国によって戦犯と言われた方々と連合国との関係においてこの裁判がなされて、そして日本はそれを受諾したということでございます。し かし、日本において彼らが犯罪人であるかといえば、それはそうではないということなんだろう、こう思います。

岡田委員 日本においてというより、日本の国内法において裁かれたわけではないという意味ではそうだと思います。しかし、いろいろ、こういう議論があるわけです ね。その後重光氏は活躍された、だからあの東京裁判そのものがやはりおかしかったんだ、こういう論理立てをする方がいらっしゃいます。私は、そうではなく て、東京裁判の判決そのものは有効であって、しかし、その後、その後の刑を赦免というのは、東京裁判の判決そのものを無効にするものではなくて、ある一定 時点から社会復帰していい、こういうことですから、そのことが過去の東京裁判の判決を無効にするものではないと当然考えるべきだと思いますが、そこのとこ ろは、官房長官、いかがですか。

安倍国務大臣 今、委員がおっしゃった、いわゆる重光葵さんは、その後、御承知のよ うに、国会議員となって、そして外務大臣に就任をして、日本が国連に復帰をしたときの外務大臣であります。また、例えば賀屋興宣さんも、同じく国会議員と なり、そして法務大臣になっておられるわけでございます。つまり、こういう方々と日本国民との間柄、刑法、日本の法律との、法令との関係について麻生外務 大臣は申し上げたわけであって、それからも示されるように、日本として、いわゆる犯罪者として日本の法律によって裁かれたわけではない、であるからこそ勲 一等を賜ることもできたということを述べたわけであって、しかし、他方、もう何回も申し上げるわけでありますが、このサンフランシスコ講和条約によって日 本は独立を回復するわけでありますが、その中において、この第十一条を、我々はこれによって、日本は、この国際軍事法廷に対して異議を申し立てる立場には ない。異議を申し立てる立場にないということと、日本国内においての法的な、日本国内法との関係とはまた別の問題である、このように思います。

岡田委員 日本の国内法上、有罪判決を受けていない、そのことは事実です。しかし、日本国として受諾をしている以上、そこに法律があるかないかということではなくて、日本国政府として、あるいは日本国として、そのことに拘束されるのは当然じゃありませんか。

安倍国務大臣 岡田委員は、何かまるでGHQ側に立っておっしゃっているように聞こえるんですが、あの十一条を、私たちは、あのときはあのサンフランシス コ講和条約を受け入れるしか、当時は単独講和、全面講和という議論もありましたが、あれによって日本は独立を回復したわけであって、今日の繁栄があるんで すが、しかし、あれを受け入れなければ独立を回復することはできなかったんですね。

そして、あの十一条を我々が受け入れた結果どういうことが起こったかといえば、世界のほかの、日本以外の牢獄の中にいた、この中にはもしかしたら冤罪の 人たちもいたかもしれませんが、BC級の方々も、残念ながら当分の間釈放されずに、その中で、獄中で亡くなった方々もいたんですよ。しかし当時は、これを 受け入れなければ我々は独立を果たすことができなかった。そういう苦渋の判断の上に私たちのこの現在があるということも忘れてはならないんだろう、こう 思っているわけでありまして、この裁判がどういう手続の上にのっとっているかということは、先ほど来外務大臣がもう既に答弁しているとおりなんだろう、こ う思っています。

私は、この条約を、サンフランシスコ講和条約を、日本もそこにサインをしている以上、当然これが、今、いわゆる政府の立場として、全く無効だから、かつ ての損害賠償をしろと異議を申し立てる立場にあるとは全く、むしろそういう立場にはないということを累次申し上げているわけであります。

岡田委員 今の官房長官の御答弁からは、十一条を受け入れるために苦渋の選択をせざるを得なかった、そういう思いが伝わってくるんですが、私は、それはそ うじゃないと思うんですよ。それはやはり、国民の立場に立って戦争についての責任を明確にする。もちろん、不十分な、百点満点とは言えない裁判だったけれ ども、しかし、そこで一つの結論が出た。それを受け入れたことが、私は苦渋の選択だったとは思いません。
では、安倍官房長官にお聞きしますが、もしそうであれば、あの六十年前の戦争の責任はだれが負うべきなんですか。

安倍国務大臣 私がなぜそう申し上げたかといえば、いわゆる停戦状況になって、そして戦犯に対する裁判があって、しかし平和条約を結んだ段階では、これは 国際法的には、慣習的にはその裁判の効力は未来に向かっては失うわけでありますが、しかし、我々は、連合国の要請に従って十一条を受け入れたわけでありま して、講和条約後もこれは効力として続いたわけであります。

それによって、私が今申し上げたのは、A級戦犯の方々は、まだ国内で刑に服しておられたわけでありますが、BC級の方々は、例えばフィリピンなりインド ネシアなり海外で刑に服していたわけであります。この方々も、残念ながらこの十一条を受け入れた結果、直ちに釈放されるということはなかったという事実を 私は申し上げているわけであります。

岡田委員 私の質問に答えていただいていないんですが、これは官房長官それから外務大臣にもお聞きしたいと思いますが、もし東京裁判以外、先ほど来から国 内法では裁いていないという話がありますが、そうだとすると、六十年前の戦争の責任は一体だれが負うべきだというふうにお考えなんでしょうか。まず、外務 大臣に。

麻生国務大臣 考え方もいろいろあるんだと思いますが、当時、そんなまだ記憶のあるほど、私、正確に覚えているわけではありませんけれども、あの当時の時代において軍国主義者が悪かったという話に多分話としてはなったのがこの間の形なんだと思います。

少なくとも、日本の場合、何となく決めるときはみんなでというようなところがありますので、一億総ざんげみたいな話が当時、昭和二十年代には、後半はそ んな雰囲気もあったんだと記憶をします。その後、いわゆる極東軍事裁判が始まっていくわけですけれども、私としては、何となく、この人が、特定のこの人だ けが悪かったというような話があるかと言われると、それはいろいろな方々が出てくるので、日本の場合は、いわゆる記録文書を読んでも大東亜戦争に突入せよ ということを発令した文書は何一つ残っていないというのが実態でもありますので、そういった意味では、なかなかこの人という、特定の人は、非常にやりにく いというのが現実だったろうと思いますので、そこで軍国主義というような話になっていったんだというのが経緯だろうなと思っております。

岡田委員 官房長官も。

安倍国務大臣 いわば連合国との関係においては、極東国際軍事法廷によってそれぞれA級、B級、C級の方々が裁かれた、その方々が責任をとられたということではないかというふうに思います。これは明確なんだろう、こう思っています。

岡田委員 今の外務大臣の御説明、答弁ですけれども、確かに国民全体に責任があるという議論はあると思います。当時は独裁国家でも何でもなかったわけで、 少なくとも男性には投票権もあった、民主国家の時代もあった、大正デモクラシーの時代もあったわけですから、国民全体、責任を分かち合わなきゃいけないと 思います。
しかし、その中でもやはりリーダーたちの責任というのは当然問われてしかるべきだと思うんです。そういう意味で、東京裁判というのはみずから裁いた戦争 ではないということであれば、日本国としてどこでどう間違えたのか、そしてその結果としてだれが責任あるのかということについてやはりしっかり見直すべき だと私は思うんですが、いかがでしょうか。

麻生国務大臣 見直すべきというのは、この戦争責任について日本政府としてもう一回自分で裁判を起こして、それでだれが悪かったかを政府が明確にしろという意味、行政に司法のかわりをやれというお話ですか。

岡田委員 現実には現在存命中の方はほとんどいらっしゃらないわけですから、戦後六十年たっておりますから、責任ある立場にいた方で現在存命中の方、ほ とんどいないと言っていいと思いますが、しかし、だれがという問題と、どこで、なぜという、そこもあるわけですね。

ですから、私はあの六十年前の戦争は悲惨だし、極めて愚劣な戦争だったと思いますが、その戦争、同じような繰り返しをしないためにも、やはりきちんと検 証が要るんじゃないか。それは裁判という形にはなりませんよ。だけれども、政府として検証して、そして同じようなことを繰り返さないために、一体何があの 当時欠けていたのか。
もちろん、ぴかぴかの軍国主義者が出てきて勝手に悪いことをやった、そういうことじゃないと思うんですね。当時の指導者たちが、その当時の段階でいろい ろ悩んだり考えたりしながら、しかし結果を見れば明らかに誤ったわけです。そうであれば、どこで間違ったのかということについてきちんと政府としても検証 する、そのことが、私は、同じ過ちを繰り返さないために必要だ、そういうふうに思うんですが、いかがでしょうか。
この質問については、三大臣、それぞれお答えをいただきたいと思います。

麻生国務大臣 今の御質問はちょっと先ほどとあれなんだとは思いますが、少なくとも、一番最初の質問に小泉総理の談話というもので、かつての植民地支配等々ずっと述べておられるので、これは一貫して表明をしてきておるところなんだというのがまず第一点なんだと思います。

そして、戦後も一貫して、少なくとも日本はこの六十年間で経済大国になったという事実ですけれども、これは軍事大国にはならないということをはっきりし ていまして、武力にもよらず平和的な手段でこれだけ国としての立場を堅持してきたというのも事実ですので、私どもとして今も世界の平和とか秩序の維持にい ろいろな形で貢献しているというのが、私どもの反省した結果出てきている態度なんだと理解をいたしております。
御指摘のあった、有識者を集めて検証すべきではないかという御提案に関して、今そういうことを政府として考えてはおりません。

それから、今いろいろな形で、共同研究というのは日本と韓国の間で始まったりいたしておりますけれども、そういったものについては、共同研究というのは 既に実施をいたしておりますし、日中間におきましても、歴史の共同研究というものを早期にやっていこうということで、双方で話し合いをいたしております。

安倍国務大臣 さきの大戦の結果、日本の国内外の人たちが、大変なる、甚大なる被害を受けて、精神的にも肉体的にも大変大きな苦痛をこうむったというのは事実であり、その深刻な反省の上に今日の日本の歩みがあるのもまた事実であります。

そこで、委員が今御質問になった、では、政府でもう一度これはだれに責任があるのかということを、我々がそういう機関なり……(岡田委員「なぜそうなっ たか」と呼ぶ)そういう、なぜそうなったかという諮問委員会なりをつくる、それが果たして妥当かといえば、政府は今のところそれは考えておりません。むし ろ、それはアカデミックな観点から識者が議論をすることではないだろうか、このように思うわけであります。

谷垣国務大臣 岡田委員は大変論理的にお詰めになりますが、私は当委員会で責任を持って論理的に詰めてお答えする部署にいるわけではございません。今、両大臣からお答えのあったとおりだというふうに思っております。
責任の所在を政府が明らかにせよ、こういうことでありますが、私は、それこそ学問と健全な国民の判断にまつべきことだと思っております。

岡田委員 私は政治家の端くれとして、数々の疑問があるわけですね。
例えば、先日、石橋湛山の本を読んでおりましたら、石橋湛山の中に、青島は断じて領有すべからずという論文があるわけですね。小日本主義、どんどん拡大 していく第二次世界大戦で、青島を領有してきたドイツが引いた後に、日本がかわりに出兵するということに対して、そういったことが将来大きな課題を残すん だということを当時論じたものであります。そういう見方があったんだということを改めて新鮮な気持ちで思いました。

あるいは、私個人も、一九三一年の満州事変、あのときに、開戦といいますか、紛争が勃発したときに、局地解決の方針というものを政府として決定をした。 にもかかわらず、例えば、勅命もなしに、当時は朝鮮軍という、指令系統が違いましたから、朝鮮軍が満州に出兵するということは勅命が必要だったんですが、 勅命もなく朝鮮軍は出兵をした。そして、そのことについてだれも責任を負っていない。満州事変、紛争は拡大しました。

あるいは、三七年の盧溝橋事件についても、当時の近衛首相や米内海相は不拡大方針、閣議決定までされました。しかし、それにもかかわらず全面的な日中戦争に拡大をした。だれも罰せられていないし、責任をとっていない。

そういうある意味でのあいまいさといいますか、それが日本の特徴だと言われればそうかもしれませんが、やはりそういったことについてきちんと検証を重ね る、そのことが私は必要なことじゃないか。どこで間違ったのか、何が悪かったのか。私は最初に東京裁判の話から入りましたけれども、私も東京裁判は一〇〇 %これでいいと思っているわけじゃありません。しかし、それじゃ、我々は自分たちで自分たちをきちんと総括したのか。もし、それがないままで東京裁判がお かしいと言ってしまったら、それこそ全くの無責任、だれも責任を負わないということになる。それが本当にいいのか、そういう視点で私は申し上げているわけ でございます。
いかがでしょうか。私の言っていること、おかしいですか。麻生大臣、ぜひお答えください。

麻生国務大臣 先ほどから何遍も申し上げておりますように、この裁判のジュリスディクションに対して、正当性はあるのかという清瀬弁護人の冒頭質問が記述 として残っていて、それに対してウェッブ裁判長の答弁がどんなものだったかはよく読まれていることだという前提でお話をさせていただきます。(発言する者 あり)後で勉強してください。

大島委員長 大臣、ちゃんと答えて。質問者に答えて。

麻生国務大臣 そういうことに関しましていろいろ御意見があるし、マッカーサーの話もいろいろ、一九五一年のマッカーサーの上院軍事委員会の答弁とかいろ いろなものがありますが、しかし、日本としては基本的に、サンフランシスコ講和条約を受け入れる際に、その十一条の中でこの裁判を受け入れると言っており ますので、私どもとしてこの裁判の正当性やら何やらについて国としてどうのこうの言う立場にはないというのは、はっきりしているんじゃないでしょうか。

岡田委員 外務大臣、官房長官に共通すると思いますが、やむを得ないから受け入れたんだ、受け入れざるを得ないから受け入れたんだ、そういう思いが伝わってくるわけですね。そこは私、全くわからないと言っているわけじゃないんです。

しかし、やはりそれは、自分自身でなぜ誤ったのかということをきちんと総括をした上で、その総括に基づいて、東京裁判のここに疑問があった、問題があっ た、そういう論理の立て方ならよくわかりますよ。しかし、そのもとがないままに、あの裁判について、本当は受け入れたくなかったけれども、サンフランシス コ講和条約を締結するためにやむを得ず受け入れたんだというふうに、あるいはそういうふうに言っているとすると、やはりそれは私は違うんじゃないか。結局 それは、全部責任を負わない、だれも責任を負わないということを言っているに等しいわけで、私はそういったことに対して非常に危惧の念を持つわけでありま す。

政府としてやるつもりはないということですからこの辺にしたいと思いますが、私は、政府としてやらないにしても、ぜひ、三人のリーダーの皆さんがみずか らそういったことについてきちんと総括をしていただきたいというふうにお願いをしておきたいと思います。

それでは次に、アジア外交の問題について申し上げたいと思います。
アジア外交、私は今、非常に厳しい状況に陥っているというふうに思うわけであります。このことについて、先般、小泉総理も御出席のもとで私が申し上げま したところ、そのことには直接お答えにならずに、いきなり靖国神社の問題を持ち出して、とうとうと論じられました。私は靖国神社の問題、そのときには聞い ておりません。
今のアジア外交が重要であるという認識は、恐らく三大臣も共通の認識としてお持ちだと思いますが、今、アジア外交は私は非常に厳しい状況にあるというふ うに思うわけですが、そういう認識はお持ちでしょうか。それとも、現在うまくいっている、そういうふうにお考えでしょうか。

麻生国務大臣 アジアというものを見た場合に、私どもとして、少なくとも、今アジアの中で首脳会談ができないというところは中国と韓国だけだと思いますけれども、あとの国で首脳会談ができないという国はないというように理解をいたしております。

また、その他のアジアを見た場合に、例えば、東アジア共同体等々におきましても、明らかによくなっておりますし、過日、BBCがやりました、世界じゅう 四万人を対象にやった中のものが出ておりました。三十一カ国で、少なくとも日本肯定派というのは五五%、否定派は一八%、これは新聞の一部で切り抜きが出 ていましたのでごらんになったかと思いますけれども、私どもにとって、これはこっちが何もかんでいるわけではありませんので、アジアの国にやられた内容の レポートそのままなんだと思いますけれども、そういった資料を見てみますと、日本に関して非常に肯定的な見方をしている国の方が今や圧倒的に高いというの が事実でありますので、今アジア外交全般が悪くなっているわけではないというのが、基本的に私もそう思っております。

それから、今、中国と韓国の話に、首脳会談ができないというところが、多分その点が問題なんだということなんだと思いますけれども、基本的には、中国も 韓国も、これは日本の地理的に見ても隣の国でもありますし、かつてと違って経済も皆そこそこ大きくなってきておられます。そういった意味では、日本の友好 国として、千何百年の長きにわたって、いろいろな対立や見解の相違があったときもありましたけれども、私どもとしては、常に大局的な観点から考えて、上二 人が仲悪くても下の方は、日韓関係でいきましても、当時日韓条約ができたときに、年間交通量、三百六十五日で一万人が今一日一万人を超えておりますし、今 度も、ビザもいろいろ御意見がありましたけれども、渡航ビザ等々の、査証の免除等々もさせていただいております。経済、音楽、その他サブカルチャーなんか の面におきましても極めて友好にいっておりますので、かなりな部分は、その部分はいい部分というのもいっぱいありますので、一部の話だけが悪いからみんな が悪いというような意識は私も持っておりません。

岡田委員 国民レベルでの交流というのは、韓国、中国も含めてアジアと日本の関係、もちろん日本もアジアの一国でありますが、相互依存も進み、いろいろな 意味で交流が進んでいるということは、それはそのとおりであります。問題は、政治がそれを後押しする形になるのではなくて、本来政治がそういったことを後 押しする、あるいは引っ張っていく役割を果たさなければならないところ、現実にはむしろそれを阻害するような、そういった結果になっているということにつ いて、私はアジア外交が今危機に瀕しているというふうに申し上げたわけです。

私もASEANのいろいろな国の首脳と意見交換する機会もありましたが、私の率直な感じは、例えば日中、日韓がこれだけもめていることについて、困ったものだとまゆをひそめてじっと黙っている、これが現実ではないでしょうか。

あるいは、ASEANの中で少し前までは日本というのは圧倒的に大きな存在で、そしてリーダーとみなされていた。もちろん中国も国力をつけてきています から、いつまでも日本だけという時代ではないにしても、どうも中国との比較においても日本の影が薄い、そういうふうに私は受けとめております。
そういう御認識は、外務大臣、ありませんか。

麻生国務大臣 影が薄いと言われると、そうかなという感じがいたしております。こういうものは、岡田先生、相対的な話ですから、中国の十三億の民が経済力 をつけ、今日本の、こっちが約五兆ドル、向こうが一兆ドルぐらいになったんでしょうかね、ちょっと、よく伸びますので最近の細目、数字を知りませんけれど も。そういった意味では、中国がこういった形で経済力をつけてきたということは、これは日本としては歓迎すべきことなんだと、もう終始一貫申し上げてきて おるところであります。

中国が経済力をつけるということは、それは中国自身の生活水準も上がりまして、生活水準が上がるということは、それは日本の商品を買う、購買力もつくと いうことですし、アジアの国々の中において、一九九七年、いわゆる通貨危機が起きましたときにも、少なくとも日本は東南アジアの国々に対して、日本が IMFの仕事みたいなこと、日本が全部やってきたということをもちましても、今の中国ならそれができるぐらいの経済力がついてきたというのであれば、それ は、アジアをみんなで守っていかないかぬということを考えたときには、少なくともそういう日本と伍すだけの大きな経済力を持ってきた国が今でき上がりつつ あるということは歓迎すべきことなんだ。

私自身はそう思っておりますので、影が薄くなってきたのではなくて、総体的に両方でアジアの力が大きくなってきていますので、その中において日本の経済 力は不景気といいながら五兆ドルを維持しましたし、そういった形では、日本の力というのはそれほど、ほかの国が上がった分だけ、これだけいれば落ちること になろうかと思いますけれども、日本だけが独占して常に存在感を強くしなきゃいかぬというものでもないと思いますけれども、少なくとも日本というのは常に そういった国々と皆うまくやっていこうという考え方を示しておりますので、私ども、影が薄くなったという感じはございません。

岡田委員 私は、日本再生のかぎは平和で豊かなアジアだと思っております。そして、そのために、日本の外交力のかなりの部分を、もちろん日米同盟という前 提を置いた上でと私は申し上げておりますが、アジア外交ということに全力を傾けなきゃいけない。しかし、現実はそういうことになっていないんじゃないか、 そういう観点から申し上げております。そういう状況、私の認識が違っていると外務大臣が言われたのであれば、それはそれで私は受けとめますが、私は全く違 う認識を持っております。

では、外務大臣と官房長官にお聞きしたいと思いますが、靖国問題というのがあります。
私は、靖国神社に総理が行く、行かないという問題は、それはそのときの総理が判断すべき問題であって、外国に言われて決める問題じゃないというふうにか ねてから申し上げております。ちなみに申し上げれば、私は、A級戦犯が合祀された靖国神社に総理として行くことはない、行くべきでないということを申し上 げているわけであります。

今後のアジア外交の重要性ということを考えたときに、私は、外務大臣も官房長官も総理の靖国参拝ということについて少なくとも否定的ではないというふう に思いますが、きょうはそのことをぎりぎり詰めようとは思いません。今の段階で白黒はっきりさせようとは思いませんが、しかし、もし靖国参拝について肯定 的に考えるとすれば、では、それを乗り越えるアジア外交というのをどうやって構築していくか、その構想力が求められることは間違いありません。そうでない と、結局、今の中国、韓国との関係がこのまま続いていくということになる。

したがって、それぞれがリーダーになられたときに、どういう構想力を持ってこのアジア外交、とりわけ近隣の国々である韓国や中国との関係を形づくってい こうとされるのか、そのことについての御見識をぜひ外務大臣と官房長官にお聞かせいただきたいと思います。

麻生国務大臣 靖国神社の問題についての最初の御見解は、少なくとも日本国内において、ここに行っていいけれどもこっちに行っちゃだめと言われるような話 は、他国の人に言われてそれを唯々諾々とのむという立場にはいかないのは当然だというのは、もう見解は一致しておられると思いますので、その点はそれでよ ろしいのだと存じます。

今の話で、これは長いこと、この話はいろいろあるのだと思いますけれども、どういう構想であるかと言われるのであれば、私の場合は、昭和二十七年四月の 二十八日、これは岡田さんの生まれる前の話なのかもしれませんけれども、昭和二十七年四月の二十八日に日本は独立したんです。昭和二十六年九月の八日にサ ンフランシスコの講和条約がサインされておりますが、発布いたしましたのは翌年の四月の二十八日。そのときに、時の内閣総理大臣に手を引かれて靖国に、 きょうは日本が独立した日だからといって学校に、どこだか忘れましたけれども、連れていかれて靖国に参拝したのが多分最初の記憶なんですが。以後何十回 行ったか全く記憶にないぐらい、毎年行っておりましたので、後、社会人になってからもずっと行っておりましたので。こんな騒ぎになるような前の話の、もう ずっと前の話。国会議員になりましてからも、よく行っていた方だと思いますね。

そういった意味で、私どもとして、今個人的に、また、少なくとも日本という国のためにとうとい命を投げ出してもらった人々に対して、その人に対してどう 対応すべきかというのであれば、私は、今よく持ち歩いているものがありますのでちょっと使わせていただきますけれども、実は、靖国神社というのは焼却し ろ、焼けというのがGHQの話で出たんです。そのときにどうそれに対して答えたかというところが一番問題なんだと思いますが、今でいう上智大学、当時の上 智学院というところのブルーノ・ビッテルという神父が、焼けという話に対して、「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人 々に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。」「もし靖国神社を焼き払ったとすれ ば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。はっきり言って、靖国神社 の焼却、廃止は、米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。」これは、ブルーノ・ビッテルという人がマッカーサーに対して出した文書です。正すべきは国 家神道という制度であって、靖国神社ではない、これが当時のブルーノ・ビッテルという、これはカトリックの神父なんですが、この人が当時のマッカーサーに 対して送った書簡です。

そういった意味で、これは昔からあるものなんですが、こういったものがありますので、私としては、今この問題に関して、これが基本的には真理なんだと思 いますが、そういったものに対して、宗教法人だから何とかとか、またA級戦犯合祀だから何とかとか、いろいろなことがありますけれども、この中に関して、 幾つか戦後変わったもの、変わってしまったものというのが幾つかあるんだと思う中に、やはりこれはもともとは戦死者が祭ってあったんだと思いますね。戦死 者が祭ってあったはずです、だから東郷平八郎も乃木希典も祭っていないわけですから。そこらのところが答えかなと思っております。

岡田委員 麻生大臣、質問に答えてもらっていないんです。
私は、靖国神社に参拝することの可否をお聞きしたわけではないし、理由をお聞きしたわけじゃないんです。そのことは、私はそれぞれのそのときのリーダー が判断することだと。しかし、私は行くべきでないという考え方ですが、最終的には、それはそのときのリーダーが判断することでしょう。だけれども、もし行 くとすれば、今と状況は同じことが続く可能性が高いと私は思います。

では、それを乗り越える、中国や韓国との関係あるいはアジア外交というものをどうやって展開していくのか、構想していくのかということをお聞きしているわけです。麻生大臣と官房長官、お願いします。

麻生国務大臣 個人の信条と立場となれば、おのずとその行動に差が出る、外務大臣に就任した直後に記者会見で申し上げたせりふであります。

したがって、その立場になったときに適切に判断すると答えておりますので、ちょっとまだ、総理大臣になる前提かのごとく言われると、ちょっと危なっかし い話になりかねませんので。リーダーとしてと言われると、何となく、今、小泉さんの話にひっかけて聞かれるんじゃないかなという疑いを持って答えるのもし んどいものですから、なかなか難しいなと思いながら、おまえ、何様のつもりだなんと言われてもちょっと困りますので、私もちょっと答えがしにくいんです が、適切に判断をさせていただきます。

岡田委員 私が聞いているのは靖国参拝についての可否の問題ではなくて、どうやってアジア外交を展開していくのか、そのビジョンを、構想を、基本的考え方を述べてくれ、こういうふうに言っているわけです。
外務大臣にそれがないというふうに私は受けとめましたが、官房長官はいかがでしょうか。

安倍国務大臣 今、小泉内閣はダイナミックにアジア外交も展開をしているというふうに思っています。

アジア外交を考える上においても、極めて短期的に、これはまた近視眼的に考えるべきではなくて、もう少し世界を俯瞰しながら中長期的にやはり考えていくべきなんだろうな、こういうふうに思っています。

今、経済界においては大変インドがブームになり始めているわけでありますが、これは昨年私も参りましたが、小泉総理がインドに行かれた、そして、ここで 八項目の日印の戦略的なパートナーとしての合意事項をさらに進めていこうということを合意に至ったわけでございます。これは、お互いに安全保障の分野にお いてもそうしていこうということについて合意をしたわけであります。それが実って、昨年は経団連もミッションを出しましたし、今、若いベンチャーの人たち もインドに向かっているわけであります。

そして、麻生大臣も、累次にわたるインドの訪問によって非常に関係が強くなってきているわけであって……(発言する者あり)今、中国はと言う人がいるん ですが、そういうすぐにそこだけに視点を置くというのが近視眼的で戦略性のない考え方ではないか、こういうふうに思うわけであります。

大切なことは、世界全体を俯瞰しながら、日米同盟を強化させ、そしてまた、さらには、東南アジアの国々とはEPA、FTAを、しっかりとこれをスピード 感を持って締結していく、そしてまた、経済の問題において関係を非常に濃くしていくことがそれぞれの両国関係を安定化させる。政治上の問題においては、こ れは何か問題が起こるということはあるんですね。しかし、それを物すごく悪化させない、拡大させないということは、お互いが知恵を出していく、そういう仕 掛けをどう考えていくかということも当然考えなければならないんだろう、こう思っています。

大島委員長 答弁者の皆さんに、不規則発言には答える必要がございませんので、お願いいたします。
岡田さん、そろそろ時間でございますが。

岡田委員 はい。
今の外務大臣そして官房長官のお答えをお聞きして、答えはないんだなというふうに受けとめました。
中国がだめならインドがあるさぐらいの答弁をいただきましたが、それでは私はだめだと思います。もちろん、中国は政治体制も違いますからそう簡単ではあ りません。しかし、日本の隣国であります。韓国もそうです。そして、経済的にも大きな力を持ちつつある。この中国をいかにして国際社会の中に関与させてい くか、引き出していくかということは、これは私は世界の中で日本の大きな役割だというふうに考えます。しかし、今のままいけばそういったことも望めない。

私は、次のリーダーの有力候補と言われるお二人のお話をお聞きして、もしこのまま同じ形で外交を続けていって、数年間たてば日本という国が一体どうなってしまうんだろうかという強い危惧の念を抱いたということだけ申し上げて、私の質問を終わります。




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