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2010.03.31|夕刊フジ

夕刊フジコラム「ズバリ直球」10年3月31日号

外務省前の桜が美しく咲き誇っている。少し前に、正月が終わったような感覚だったが、あっという間に本格的な春になった。明日は4月1日、外務省だけでなく、日本全国で新社会人がスタートを切ることになる。

私も34年前(1976年)、「公のために働きたい」という思いを持って通産省(現・経済産業省)に入った。あの「およげ! たいやきくん」が大ヒットした年だ。当時は、第1次オイルショック(73年)の影響や、為替レートが固定相場制(1ドル=360円)から変動相場制に切り替え(73年)られ、経済は混乱していた。現在と似て不況だった。

通産省の外局である中小企業庁官房総務課に配属された初日、いきなり先輩から、「これをやってくれ」と政府答弁書づくりを任された。中小企業の景気に関する質問主意書だった。質問主意書とは、国会議員が内閣に対し質問する際の文書のことだ。

複数の役所にまたがる質問だったが、国会法で質問主意書は7日以内に答弁しなければならない。「遅れたら大変だ…」と、必死になって関係省庁を回って答弁書案を調整し、最終的に大臣決裁を取った。それをタイプ打ちしてもらって、何とか1週間後の閣議決定に間に合わせた。

冷や汗ものだったが、達成感はあった。しかし、あれ以来、私は質問主意書が嫌いで、国会議員となった今でも、ほとんど出さない。

新人時代は国会答弁資料のコピー取りも大切な仕事だった。夜中の2時、3時まで、ひたすらコピー機に向かった。当時のコピー機はよく故障したため、そのたびに作業が中断したのを覚えている。

失敗もたくさんした。長官のカバン持ちで国会に行った際、国会に入るためのバッジを忘れて、入れてもらえなかったこともある。長官は「(バッジが無くても)いいじゃないか」と交渉してくれたが、国会の衛視は厳格だった。

長官挨拶文を作成する機会もあった。3、4枚の文案を書いて先輩のところに持って行くと、紙が真っ赤になるまで赤ボールペンで直されたものだ。先輩には徹夜マージャンで絞られることもあったが、先のコピー取りの時など、「一部余分に取って、自分で読んでおけ」とアドバイスしてくれた。とても勉強になった。

新社会人の皆さんには、「夢を持って社会人生活をスタートしてほしい」とメッセージを贈りたい。どんな仕事でも全力で取り組むことが大事だ。そして、まだ就職先が決まっていない人には、「必ず自分を認めてくれるところがある。あきらめないで」と言いたい。前を見すえて頑張ってほしい。

(C) 夕刊フジ




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