夕刊フジコラム「ズバリ直球」11年3月24日号
東日本大震災は、歴史上最大級の被害をもたらした。被災地のむごい光景には言葉も出ない。現時点での、死者・行方不明者は約2万1900人。お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心からお見舞いを申し上げたい。
言うまでもなく、政府・与党は一丸となって、被災者の救出や支援に取り組んでいる。また、政党レベルでも連日、与野党と政府の実務者が集まって会議を開いている。政府から生の情報を聞き、現状を日々確認するとともに、政府では分からない各党が集めたきめ細かな情報を伝えている。野党からは非常に参考になる提案もあり、極めて有用な会議になっている。各党にはお礼をいいたい。
こうした中、宮城県石巻市で9日ぶりに80歳の祖母と16歳の孫の高校生が助け出されるなど、奇跡の救出があった。大きな希望というべきだ。
私は21日、民主党の地震対策本部のメンバーとともに、約2500人が避難しているさいたま市の「さいたまスーパーアリーナ」を訪ねて、避難住民の方々から直接話を聞いてきた。みなさん、「いつごろ戻れるのか」「今後の生活をどうすればいいか」「放射能の影響は大丈夫か」などと不安を漏らしておられた。ただ、雨露をしのげて、水や食料もあるアリーナに来て、少し安堵されているように見えたのが救いだった。
印象的だったのは、1000人以上ものボランティアの方々が駆け付けて、物資の仕分けなどに黙々と汗を流している姿だった。医師、介護士、マッサージ師、女子高生…老若男女、多種多様な人たちが「助け合い」の気持ちで1つになって活動していた。
同アリーナには、福島第1原発事故を受けて、福島県の双葉町から役場機能ごと約1400人の町民が集団避難していた。第1原発は依然、予断を許さない状態が続いており、一定期間の避難生活をお願いせざるを得ないだろう。
受け入れた埼玉県では今後、双葉町の皆さんを閉校した高校で受け入れる準備をしている。ここは単なる避難所ではなく、生活の場として、周囲の耕作放棄地での農業や、近くの企業での仕事を紹介することも検討しているそうだ。
2000年の三宅島の噴火では、全島民が集団避難した。今回、双葉町以外にも集団避難をするケースが出てくるかもしれない。埼玉県以外にも、受け入れの意思を表明している自治体は多い。ぜひ、双葉町がモデルケースになってほしい。
ともかく、被災者支援や被災地の復旧・復興でやるべきことは、たくさんある。野党とも協力しながら、政府・与党は総力を挙げて取り組んでいく。
一方、被災者の皆さんは冷静に、支え合いながら、この大きな苦難を乗り越えようとされている。被災地の現場では、自衛隊、消防、警察など、それぞれがまさに命がけで自らの使命を果たしている。ボランティアや自治体など全国に善意の輪が広がっている。今回の悲劇の中で、改めて、日本人の強さ、素晴らしさを実感させられた。
希望は見えている。東北は、日本は、必ず立ち上がる。