【代表談話】戦後70年と安倍総理談話について
2015年10月2日
戦後70年と安倍総理談話について
民主党代表 岡田 克也
1 戦後70年という節目の年となった2015年を、歴史はどのように評価することになるだろうか。安保法制で大きく揺れた通常国会だったが、戦後の平和主義を危機に陥れかねない法律が成立する一方、安倍総理の戦後70年談話や歴史認識と和解の問題について、本質的な議論の機会を逸してしまったことは極めて残念である。国会閉会にあたり、この問題に対する私の考えを申し述べたい。
2 そもそも、70年談話は、安倍総理の過去の言動から、歴代内閣の談話を否定するものになることが心配されていた。しかし、結果的には、各方面の意見を受け入れ、バランスの取れたものを目指そうとする姿勢が伺えるなど、評価できる部分もある。「植民地支配」「侵略」「反省」「お詫び」といったキーワードも盛り込まれ、体裁を整えた。しかし、70年談話は、本質的に重要な点で不十分あるいは不明確であると言わざるを得ない。それは、以下のとおり、大きく2つに集約できる。
3 第一に、70年談話は引用や間接的表現が多く、安倍総理自身の考えや認識がはっきりしない。村山談話、小泉談話は、総理自らが植民地支配や侵略について「痛切な反省」と「心からのおわびの気持ち」を表明した。しかし、安倍談話では、「我が国は、先の大戦における行いについて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」と述べうえで、「こうした歴代内閣の立場は今後も揺るぎないものであります」とするのみである。「先の大戦における行い」とは、植民地支配や侵略を指しているのか、また、「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」というが、安倍総理、安倍内閣自身の考えや認識がどうなのか、いずれも明確にしていない。
植民地支配や侵略については、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」としているが、一般論を述べているのか、我が国自身の植民地支配や侵略を指しているのか、これも曖昧である。結局、70年談話は、美辞麗句に満ちているものの、村山談話など歴代政権の立場を「全体として引き継ぐ」としてきたこれまでの安倍内閣の説明の域を超えていない。
4 なお、70年談話が発表された8月14日に削除された外務省ホームページ「歴史問題Q&A」の改訂版が9月18日付で掲載されたが、談話発出から1カ月も経過し、安全保障関連法をめぐる混乱のさなかでの掲載は、どさくさ紛れと言われても仕方がない。しかも、「植民地支配」「侵略」といった文言は削除され、村山談話や小泉談話はリンク先が紹介されるだけとなった。このような政府の対応を見ても、安倍総理、安倍政権の歴史認識に対する疑念が消えることはない。
5 第二に、和解の問題である。70年談話では、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と訴え、これが一部国民の関心を呼んだ。しかし、この表現は、後に続く「それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」という一節と一体として読まなければ意味をなさない。「これ以上謝罪する必要がない」という勝手な切り取りは許されない。
6 また、政治指導者は戦争で被害を受けた国々、人々に対し、和解のための努力を続けなければならず、その努力に終わりはない。国家のリーダーに求められているのは、我々の重大な過去の誤りを正面から認めたうえで、相手との和解を粘り強く成し遂げ、その結果として、後世の人々が謝罪を求められなくなることである。安倍総理は、果たしてそういう認識のもとで努力をしてきただろうか。
7 こういった点について、私は国会で直接、安倍総理に質したいと考えていたが、党首討論は5月と6月に二度開かれたのみで、与党が約束していた予算委員会集中審議も結局反故にされた。極めて遺憾なことである。安倍総理が70年談話を含む歴史認識と和解の問題についてどう考えているのか国会で直接説明し、この節目の年に国民全体でしっかりと総括することが、日本の未来にとって必要不可欠である。
以 上