予算委員会――道路、温暖化について総理に質す
いま先ほど、4時から5時まで、予算委員会で私自身が質問をしてきました。野党議員のトップを切って、質問させていただいたわけです。
温暖化の問題と道路の問題を取り上げましたが、時間配分としては道路で、冬柴大臣の長い、質問とは直接関係のない答弁などもあって、道路に40分ほど取られてしまいました。全体で1時間でした。
道路の問題は様々なことを議論しましたが、ポイントの1つは、1万4000㎞という、政府が前提にしているその数字がいかがなものかという観点で、質問させていただきました。
まず、小泉総理は当時、道路公団民営化の効用として、ムダな道路を造らない、そういう意味で、現在計画されているもの以上は白紙であると。1万4000㎞の部分について、白紙であると言われました。
にもかかわらず、今回当然ようにその1万4000㎞が前提になっているというのは、当時の小泉総理の答弁はそれほど軽いものなのかと。予算委員会で私に対して答弁されたので、そんなに軽いものなのかと議論をさせていただきました。
そしてもう1つは、この1万4000㎞の前提となったのが四全総、「第四次全国総合開発計画」という政府の計画ですが、20年前にこの計画を世に問うたときは、例えば、人口問題研究所が出した2050年における人口の将来見通しは、1億2800万人と推計されていました。
しかし、現時点での2050年における推計は9500万人です。25%くらい減っているわけです。
高齢化率についても見通しは大幅に狂いまして、20年前には65歳以上の方の割合は23%と言っていましたが、実は39.6%であるといまでは推計されています。
そして何よりも、国・地方の借金が当時は238兆円だったのですが、いまや778兆円ということで、20年の間にこれだけ人口の将来見通しが変わり、国の借金が増えたときに、なぜ1万4000㎞だけがそのままなのかということを議論させていただきました。
しかし、残念なことですが、総理からは明確な答えは全くありませんでした。
そして、私がもう1つ申し上げたことは、特定財源制度についてです。
道路特定財源制度というのは、自動車ユーザーが税金を負担し、道路を造ってもらうという効用を得ている。そして、負担と効用が明確な関係にあるときに、特定財源制度というのは位置づけられるという説明を額賀財務大臣も福田総理もしたわけです。
それに対して私が申し上げたのは、今回の道路建設計画59兆円のうち、24兆円は国際競争力の強化ということで位置づけられている。つまり、重要な空港や港湾への道路を造るというようなことです。
しかしそれは、一般のユーザーとは直接関係が少ない。まさしく産業界向けの効用であって、一般の自家用車のユーザーにとってはほとんど関係のないことではないかと。
そういう意味で、効用を受けるユーザーが負担をするという、そういう特定財源制度の論理は破綻しているのではないかということを申し上げました。
そして、なぜ道路予算だけが優先的に決まってくるのか。例えば、地方でいえば、介護保険制度の運用とか、あるいは高齢者医療の問題、農業の問題、子育て支援の問題、様々な予算がそれぞれ必要であるなかで、なぜ道路だけが特定財源ということで、まず決まってくるのか。そのことの不自然さを質したわけです。
最後に私は申し上げましたが、これから10年間で59兆円を道路に投資するということですが、ということは、それだけ国民に負担を強いるということです。
1人あたり50万円、4人家族であれば200万円を10年間で道路のためだけに負担を求めるということが、果たして合理的なのかどうか。説得力があるのかどうか。
一方で、お金がないと言って増税をする。あるいは、様々な社会保障をはじめとして、歳出カットをする。そういうことを強いておきながら、道路だけは1人50万円の負担をいただき、そして、ひたすら造り続ける。その基になるのが、20年前の四全総である。
そういったことのおかしさに、我々は気づくべきではないでしょうか。
温暖化の問題は、道路で時間を取られたので、多少時間が限られていましたが、まず、日本は省エネ国家であると言っていますが、現実にはこの10年間、CO2など温室効果ガスの排出量は増え続けてきたわけで、京都議定書に定める2012年、6%削減もようやくそれが達成できるかどうかという状況にある。
つまり、世界から見て、日本というのは必ずしもこの問題では優等生ではないということを、きちんと認識すべきだという視点で申し上げました。
そういう中で、総理の答弁で1つ評価できる点がありました。
それは、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の昨年11月の報告書について、総理はダボス会議で「これを警告と受け止めなければならない」と言われました。しかし、それは単なる警告と受け止めるのではなくて、議論の前提として考えるべきだということを申し上げました。
バリ島でも、多くの人々に私は言われましたが、科学者はすでに結論を出した。つまり、IPCCの報告書を出した。あとはそれを政治家がどう実現していくかだ。
そういう意味で、IPCCの報告書は単なる警告なのか、それとも議論の前提なのかと聞きましたが、ここは総理はかなり明快に「議論の前提と受け止めなければいけない」と言われました。そのことは評価できると思います。
ただ、時間があまりありませんでしたが、日本自身が2020年の目標をどうやって作っていくのか。IPCCの報告書によれば、2050年までに、地球全体でCO2などの温室効果ガス排出量を半分をかなり下回るだけの量に押さえ込まなければならない。そうすれば、先進国はさらにそれを減らさなければいけない。
そうすると2020年には、その延長線で考えると、現在から2050年の中間点ですから、やはり先進国は20%とか25%、30%と削減しなければいけないわけです。
そういうことについて、どう考えているかということを質したわけですが、これに対しては、残念ながら、ほとんど答えはありませんでした。
引き続き、総理は出席されないと思いますが、一般的質疑の中でやっていきたいと思っています。
コメントを返す