通常国会を終えて――成果はあったが、工夫の余地も
いよいよ国会も終わり、我々政治家にとって、“田の草取り”をしなければいけない時期がやってきました。
まず、国会について、この国会を振り返って一言申し上げたいと思います。
“ねじれ”の中での国会で、様々な難しさもありました。しかし、私は一部のマスコミが言うように、「何も動かなかった」とか「大きなマイナスだけだった」と考えるべきではないと思います。
むしろ、いままでできなかったような協力が与野党でできて、全会一致あるいは民主党と与党の賛成で法案が成立するということもたくさんありました。
例えば、公務員制度改革基本法などは、民主党の考え方を基本的に与党が呑み込む形で成立しました。私たちも一方で天下りの禁止は、いまの福田政権の下では、そこまでは求められないということで妥協はしましたが、一歩前進したことは間違いないと思います。
いままで強行採決をバンバンやっていた時代と比べると、確かに時間はかかるかもしれませんが、それが中身のある審議につながっているということであれば、私はマイナス点をあげつらうだけというのは間違ったことだと思っています。
ただ、そうは言ってもいろんな法案について、結局あまり審議がされないまま時間だけが経ってしまった、あるいは混乱が残ったということもあったと思います。
こういう点について、1つは、もう総選挙も近いわけですから、選挙の争点として残す。そういうものがある程度あることは当然だと私は思います。
そのことを申し上げたうえで、もう少し工夫の余地がこれからあるのだろうとも思っています。
例えば、私が非常に強く感じたのは、衆参の議長の役割というものがほとんど果たされることがなかったということです。
その背景にあるのは、例えば衆議院の河野議長であれば、我々から見ると自民党の言うがままだと。おそらく、参議院の江田議長に対しては、与党サイドは同じような見方、つまり、民主党の言うがままだと見ておられると思います。
しかし、議長というのは本来、三権の長で非常に権威と権力を持った存在ですから、ある意味では、出身政党からも独立をして、きちんと自らの見識に基づいて進めていかなければいけない存在だと思います。
この点でイギリスの議会などでは、議長になれば政党に戻ることはない、つまり、議長を辞めるときは政治家を辞めるときである。そして、対立政党も選挙区には対抗馬を立てない。こういった慣行があると思います。
そういう形で、議長になれば政党を完全に離れて、自らの見識で判断する。政党側も議長の見識である判断を最大限尊重する。こういう形に本来なってくるべきだと思います。
そして、議長はもちろんそういうことですが、委員長についても反省しなければいけない点があると思います。
我々野党のサイドもそうですが、国会ごとに替わってしまいます。毎年替わる。これなども本来おかしなことであって、委員長が自らの判断で物事を決めていく余地を認めるとともに、衆議院であれば4年間の任期の間は委員長は継続するというふうに持っていくべきではないかと思います。
考えてみれば、私自身も安全保障委員長をわずか3カ月しかやっていません。一昔前、大臣が毎年のように替わることを我々は批判したわけですが、実は委員長についても同じであって、委員長経験者をたくさんつくりたいがために、毎年のように替えるという悪弊は改めなければならないと思っています。
いろいろ申し上げましたが、週が明けて、今週からは平日も地元と東京の往復になります。月曜日、火曜日と、朝久しぶりに地元の駅に立って、朝7時からビラまきをしてまいりました。
特に火曜日、今日などは日差しが非常にきつくて、いかにも夏が来たなという感じがしたわけですが、私はこのビラまきを年に2回、後援会報が出来上がったときにするのですが、これは結構好きです。
それはやはり、駅に立っていますと、これから仕事場に向かう働く人たちがたくさん目の前を通るわけですが、もちろん、私はそういう方々にご挨拶をしてビラを配るわけですが、そういった本当に黙々と朝早くから汗を流して働くそういう人たちにこの日本は支えられているのだということを改めて、確認することができる。
そういった多くの働く人たちの姿を見ることができるというのは、私にとって非常に嬉しいし、そして日本の将来にとって頼もしい、そういうことを改めて感じさせていただいております。
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