麻雀好きの明るい人でした――ただ1人の祖母、逝く
1月2日の早朝に私の祖母が亡くなりました。
私の母親の母親ということで、昨年100歳の誕生日を迎えたところでした。大変高齢でしたし、しかも、ここ数年間は入退院を繰り返していましたので、いつかはこの日が来るだろうということは、覚悟はしていました。
そういう意味では、いよいよその日が来たということではあったのですが、しかし、私は子どもの頃から、10キロくらい離れた祖母の家に、1人で自転車に乗って、よく遊びに行ったということもあり、また、20年前に政治家になると決めたときには、一生懸命応援をしてもらったわけで、非常に感慨深いものがあります。
祖母は、戦争直後夫に先立たれ、その後私の母親を含む3人の娘を育て上げました。戦中・戦後の大変な混乱の時期を乗り越え、そして、その後は同じような境遇にある人たちのために、母子寡婦福祉会の活動に専念してきました。最近まで、三重県の母子寡婦福祉会の会長も務めさせていただいていました。
大変明るい人で、趣味は麻雀。私が中学校時代に麻雀を教えてもらったのも祖母からで、最近はあまりやりませんが、大学時代や社会人になってから、あまり上手くない麻雀を一生懸命やった、そのもとは祖母に教えられたものです。
ですから、最後のお別れのときに、祖母の使った古びた麻雀牌を、子どもや孫が1人1個ずつ持ってお棺の中に入れ、そして別れを告げました。いま頃天国で、60年以上前に別れた夫とともに、麻雀でも楽しんでいるのではないかと、そう思っています。
いずれにしても、明治・大正・昭和・平成と100年間生きてきた。そしてその半分以上を、配偶者を亡くして1人で生きてきた。様々な苦労をしたと思いますが、そういうものをあまり感じさせない、非常に明るい人でした。
私にとりまして、生まれたときには、もうすでに父方の祖父母はいませんでしたし、先ほど申し上げたように、母方の祖父もいませんでしたので、ただ1人の祖父母を亡くした、そういう特別な感慨を持って、お正月を迎えた次第です。
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