田中運転手を悼む――善良で勤勉、まさにプロだった
先日、地元で私の運転手を10年間やっていただいた田中正己さんがお亡くなりになりました。今日は、そのお話を少ししたいと思います。
昨日の本会議が終わったあと地元に戻り、今朝10時からの葬儀に出席をして、東京に戻ってきたところです。
田中さんは、ある大手損保会社の四日市支店長の運転手を務められたあと定年退職され、私の事務所に来られました。私が地元で活動する間、運転手を務めていただいて、ほぼ10年間働いていただきました。
私にとりましては、この10年間、車の中で様々な会話をしたりと、そういう意味で、個人的にも非常に付き合いの深かった人です。
私が田中さんを見ていて思うのは、本当に運転のプロフェッショナルだったということです。
もちろん、運転技術には素晴らしいものがありましたが、例えば、県外に車で出るというとき、これはあとで分かったことですが、ご本人が自信がないときには、自分の軽自動車で現地まで行って、場所を確認されるということを、よくやっておられたそうです。
あるいは、事務所の人間が集まって忘年会をやるようなときに、どんなに誘っても田中さんは出席しませんでした。なぜかと聞きますと、お酒を飲まないにしても、そこで一回気が緩んでしまうと、その後私を家まで送り届けるという自分の仕事に自信が持てなくなる。仕事の間は絶対気を緩めないと。
あとで聞いたところによりますと、私を乗せる前日には、好きなお酒も飲まないと決めておられたそうです。非常に責任感があって、そして、私を安全に運ぶということに全精力を注いでいただいたと思います。
善良で、そして勤勉。日本という国がここまで来ることができたのは、まさしくこういう善良で勤勉な、田中さんのような人々に支えられて日本社会は成り立っていると、私はいつも感じてきました。
1年前に突然、その数日前まで私の車を運転してくれていたのですが、がんということで病院の集中治療室に入られて、1年近く闘病されていましたが、先日お亡くなりになりました。
大変残念で、そして同時に、ありがとうございましたと申し上げたいと思います。
※ブログの動画版はこちら
コメントを返す