トルコ訪問―中東諸国と深いつながりを持つ重要な存在
今日は、1月2日から1泊4日(※2日は機内
泊)で行ってきたトルコについてお話ししたいと思います。
トルコというのは日本から見るとかなり遠い国です。といっても、アメリカの西海岸くらいの距離です。日本に対しても、非常に親日的な国だと言えます。
いまから120年ほど前に、エルトゥールル号という軍艦がはるばる日本まで来て、明治天皇に拝謁したのですが、その帰りに嵐にあって難破しまして、紀伊半島の南で船は沈没しました。
乗組員の多くは亡くなりました。しかし、紀伊半島、いまの和歌山県串本町の住民の皆さんが、生き残った人を救出し必死に助け、最終的には、日本国政府が軍艦でトルコに生存者を送り届けたということがありました。そのことは、トルコでも広く知られています。
あわせて、トルコにとって、当時はロシアが非常に気になる存在だったわけですが、日本は、日露戦争でそのロシアに勝った東洋の国ということで、いまでも非常に親日的な気持ちを持ってくれています。
EUへの加盟の問題がいま議論されていますが、トルコ自身7000万人以上の人口を抱え、日本の自動車会社なども工場を構えてEUに向け輸出しているという存在です。
そういう中で、私がダーヴトオール外務大臣と話をして思ったことは、やはりトルコの周りには、イラン、イラク、あるいはシリアといった国々があるわけで、トルコとこういった国々についての歴史的、あるいは人的なつながりは非常に深いということです。
例えば、イランの核の問題についても、非常に深く議論をしているなという印象を受けました。中東和平についても、パレスチナは、いま事実上分裂状態にありますが、そのいずれとも関係を保ちながら、仲介役を果たしているといった印象を受けました。
トルコはG20のうちの1つでもありますが、こういった国との関係を日本もこれから重視していかなければいけない、重要な存在だと改めて感じたところです。
出張中、時間が少しありましたので、イスタンブールで歴史的な建造物も少し見る機会がありました。
イスタンブールといえば、もともとローマ帝国、そして東ローマ帝国の首都、やがてはオスマン・トルコ帝国の首都ということで、アジアと西洋、あるいは中東の結節点にある都市として、様々な歴史の荒波にもまれてきたところです。
日本の観光客の方もかなりいらっしゃいましたが、多くの観光客の目を惹きつけるだけの歴史を感じさせる、素晴らしい遺跡に取り囲まれた街だなと感じました。
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