PKO―国民に広く定着、この17年間の自衛隊の努力に感謝
昨日(28日)、日本も参加している南スーダンPKO(国際平和維持活動)の自衛隊の活動範囲を、首都のジュバから周辺の州にまで広げるということが決定しました。
この南スーダンのPKOへの自衛隊の参加は、様々な議論を民主党政権の中で行いながら、昨年の1月以降に派遣されているものです。
南スーダンが独立し、その後、スーダンと南スーダンの間のPKOということで、主として土木工事を行うことを中心に、日本の自衛隊は参加をしています。
いま思い出すと、本格的なアフリカでの活動ということで、政府の中にも様々な意見がありましたが、やはりこれからアフリカの平和と安定の重要度がさらに増していくというなかで、決断をしたものです。
その活動範囲が拡大する、もちろん安全に十分配慮したうえでなされることですが、自衛隊の皆さんにさらに活発に活動してもらえるということは、日本国にとっても、世界にとっても素晴らしいことだと思います。
同時に、いままで行ってきたPKOについて、1つの報告が取りまとめられ、昨日閣議決定されました。
民主党政権で行っていたのは、1つはゴラン高原のPKOで、これは平成8年から行われているものです。
確か平成9年か10年頃だったと思いますが、私がパレスチナ選挙監視団の一員として参加した折に、足を延ばしてゴラン高原にイスラエル側から入って見てきました。
ゴラン高原は、壊れた戦車がそのまま置き去りになっていたりと、かつての激しかった中東戦争の状況を伺わせるものがありましたが、そういうなかで、自衛隊の皆さんは輸送業務に携わっていたわけです。
長くこのPKOは続きましたが、残念ながらシリアの内戦の結果、必ずしも安全と言えなくなってきました。
PKO法で想定していた、シリアとイスラエルの間の和平に何か問題が生じたということではなく、シリアの内戦という、言わばPKO法が想定していないような状況の中で、どうするかという判断を試されたわけです。
これもいろいろな議論をしました。特に、ゴラン高原で活動している各国のPKOの中で、日本が早い段階で抜けるということについて、いろいろな意見もあったわけですが、関係各国の理解を得ながら、日本は昨年の12月にゴラン高原から撤退することを決めました。
その後、ゴラン高原の治安状況は非常に悪くなりましたので、賢明な判断だったと思います。
そしてもう1つは、ハイチでのPKOです。
これは、私が外務大臣をしていた折に、ハイチで大きな地震があり、日本はいち早くPKO部隊の派遣を決定しました。
当時はゴラン高原のPKOしかなく、ハイチは日本から見ると遠い国ではありますが、日本としても、ガレキを取り除き、道路の整備を行う部隊を派遣したわけです。
私も外務大臣として訪問しましたが、日本の自衛隊の皆さんが、本当に規律正しく各国の模範となるような活動をしていて、国連の責任者からも感謝されたことを思い出します。
こういったPKOは、そもそも私が初当選した直後、私は当時自民党でしたが、PKO法を通す、通さないということで、社会党の皆さんの強い反対があり、長い審議の上、最後は強行採決で成立させました。
あのときから見ると今昔の感があり、PKO活動そのものは、国民の間に広く定着してきたのではないかと思います。この間の、関係者の皆さん、とりわけ自衛隊の皆さんのご努力に心から感謝したいと思います。
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