ルース駐日米国大使離任―かけがえのない「戦友」を失った思い
アメリカの駐日大使、ジョン・ルースさんが、日本を離れられました。
先週の金曜日(9日)に、ルース大使からお電話をいただいて、これからも二人の間で培われた友情を生涯にわたって深めていこうということを、確認したところです。
奥さんのスージーさんも含めて、夫婦4人で何度も会食をしたりして、交流を深めてきました。
私にとっても、非常に思い出の深い、信頼できる人物です。私からは、この間、駐日大使として、日米関係の交流をさらに深めることに大変なご尽力をいただいたことに、心を込めてお礼を申し上げたところです。
ルース大使との交流のきっかけは、私が外務大臣になったことで本格化しました。
当初は、普天間基地の移設の問題で、日米関係が緊張しました。そういう中で、なぜ普天間を辺野古に移すことになったのか、そのプロセスを検証したいという、私、あるいは日本政府の考え方について、「政権が代わった以上、それはよく理解できる」ということで、これはもちろんルース大使だけではなく、アメリカ政府として、辛抱強くその議論に参加していただきました。
この普天間の問題は、2010年5月に、元の案に戻す、つまり、辺野古に移設をするということで、合意に至るわけです。その文書の一字一句まで、私とルース大使との間で、もちろん双方の官僚の皆さんも含めて、かなり厳しいやり取りをし、何度会ったか思い出せませんがいろいろな場で密かに会って、文書を詰めたことをよく思い出します。
このことをきっかけに、いろいろな議論をしましたが、お互いの人間としての信頼関係が深まっていったと思います。
日米関係は、この問題だけではなくて、様々なことがありました。ルース大使も言われているように、最大の出来事は、東日本大震災だったと思います。
そのときは、私は幹事長になっていましたので、直接交渉をするということはなかったのですが、ルース大使は私を訪れていただいて、いろいろな心配をしてくれました。
これは後で分かったことですが、アメリカの中で、原発の影響を心配し、東京、あるいは東京近辺から離れるべきだという議論が出たときも、ルース大使は日米同盟の重要さを説いて、そのことについていろいろな説得をアメリカ政府の中でしてくれたということが、いろいろな人の証言から明らかになっています。
そして、被災地を何度も訪れ、被災した方々に寄り添う大使の姿というのは、多くの日本人の心を打ったのではなかいかと思います。
奥さんのスージーさんは、非常に率直な方で、大使夫人というよりは、一人のアメリカ国民として、いろいろなことを率直に語られました。もちろん、弁護士として大変実績のある立派な方ですが、同時に、市民の目線というのを忘れない素晴らしい人だったと思います。
この夫妻と夫婦同士の交流ということもさせていただきましたが、私にとって、かけがえのない「戦友」が大使を離れられるということで、日米関係をより深くするために共に戦ってきた「戦友」を失った思いです。
これからも、日米関係にはコミットし続けるということですので、いろいろな場面で、また頼りにしたり、意見をお聞かせいただいたりする機会も多いのではないかなと思っているところです。
次の大使も内定しました。引き続き日本に対して理解が深い方であることを、心から期待したいと思います。
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