官房長官訪沖─本土に対する沖縄の怒りと不信感をまず理解すべき
沖縄に官房長官が行かれて、知事とお話をされました。私は今まで、官房長官や総理が、知事が東京に来られた際に、いろんな理由を付けてお会いしていないことは、大変問題があると申し上げてきました。会う気があればいつでも会えたはずです。
今回、官房長官が沖縄に行かれて知事に会われたことは、そういう意味では、従来よりも少し前進したと思います。
もちろん、予想された通り、話は平行線に終わりましたが、コミュニケーションが始まったということは、そのこと自身は評価できることだと思います。
ただ、できれば、知事が当選された直後からチャンスはあったので、とにかくお会いして、お互い考え方が全く異なるにしても、人間としての信頼関係を深めていく、その努力がもっと早くなされるべきではなかったか、それがなされないまま、物事がどんどん進んで、より亀裂が深まってしまったことは非常に残念なことだと思います。
この沖縄の普天間基地の問題、辺野古に移設するということは、すでに民主党政権の時代に、いろんな経緯を経て、当時の鳩山総理の「最低でも県外」という発言があったにもかかわらず、その後内閣の中で協議して辺野古移設を決め、私は外務大臣をしていましたが、アメリカ側と合意したわけです。
その時にも感じていましたが、沖縄の人たちの今の思いは、米国に対して「けしからん」というよりは、もちろんそのことはあるにしても、やはり日本の政府はもちろん、本土の人々に対して、非常に不信感を抱いているということだと思います。
多くの基地が沖縄に集中している、その基地が集中するに至った経緯は、沖縄のおける地上戦、多くの沖縄の皆さんが犠牲になった。もちろん、本土においても、空襲や、あるいは原爆投下、そういった犠牲はあります。
しかし、本土が戦場になったということではなく、地上戦の戦場になったのは沖縄県。なぜ自分たちがという思いはもともとあるわけです。そして、強制的に土地を取り上げられて基地を造られた。
あれから70年経って、基地がまだそこにある。本土がその痛みを分散して、分かち合ってくれる、例えば沖縄の基地を、一部本土が引き受けてくれるという話があるかといえば、もちろん、岩国などそういった部分がないわけではありませんが、しかし沖縄から見れば、ほとんどの基地はそのまま。普天間も辺野古に移って、規模は縮小されますが、機能的には変わらない。なぜ沖縄だけか、という気持ちが沖縄の人々にあると思います。
そして、そのことに対して、あまりにも本土の人々が無関心ではないかということに対する不信感。政府がどんどん、問答無用とばかりに手続きを粛々と進めていく。そういうことに対する怒りとともに、本土の人々に対しての不信感というものも併せてあるということだと思います。
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