新型コロナ対策関連文書について(その2)
前回(6月23日)は、新型コロナウイルス関連の公文書の中で、専門家会議の文書について、歴史的緊急事態における意思決定型会議である新型コロナウィルス感染症対策本部の一部と位置付け、ガイドラインの求める議事録又は議事概要を作成すべきと指摘しました。その後、専門家会議は廃止され、対策本部の分科会として再出発することとなった訳ですが、同様に対策本部の一部として位置付け、発言者・発言内容がわかる形で議事録又は議事概要を残すべきです。
今回取り上げるのは連絡会議です。まず問題は、頻度高く開催され、総理・官房長官や関係閣僚・関係省庁幹部も出席している重要会議であるにもかかわらず、連絡会議の位置付け自体が文書で確認すらされていないことです。
連絡会議は対策本部で決定されることの方向性を議論する場であり、実質議論はここで行われていると考えられます。単に各省庁の報告を受けるだけで議論のやり取りがないというのは考えられません。政府は連絡会議も意思決定型会議ではなく、活動の進捗状況、確認事項を記した文書等を記録として残すことで、足りるとしています。野党の求めに応じて公表した「議事概要」にも各省庁の報告内容を数行示すのみで、総理や閣僚との発言のやり取りの記録は全くありません。これはとてもガイドラインの求める発言者及び発言内容を明記した議事概要とは全く異なるものです。
正式決定の場である対策本部の開催時間は概ね15分程度で実際には各省庁調整済みのペーパーを、総理を含めた各閣僚が読むだけの、いわば確認の場です。それを事前に総理も出席した上で、調整するのが連絡会議で、その場での発言者と発言内容がわかる議事録又は議事概要がなければ、政策決定に至る経緯がわかりません。本部と連絡会議は一体となった会議体として意思決定型会議とすることが、公文書法及びガイドラインの考え方に沿ったものです。
公文書法は「公文書が健全な民主主義を支える国民共有の資源である」と位置付けています。その上で「行政の意思決定に至る過程を合理的に跡付け、検証できるために」文書を残すことを義務付けているのです。今回のコロナウイルス対策決定について、例えば安倍総理の学校一斉休校の決定など何がどのように議論され決まったのか、後に検証することはできないことになります。
実は経緯も含めて文書で残すことは、後世意思決定の是非を検証する際の資料となるだけでなく、後世説明できない合理的でない意思決定や自己の思い込みによる意思決定を行うこと自体を避けることにつながり、民主的コントロールの手段としても有用なのです。それが、公文書法のいま一つの重要な意義なのです。
文書で残すということが徹底されていれば、今回の新型コロナウイルスへの対応にあたっても、思い付きや独断による意思決定がなされることはなかったと思います。まさにこのようなことを防ぐためにも連絡会議は発言者及び発言内容が明らかになる形で、議事録又は議事概要に作成され保存されることが必要です。
財務省で公文書の改ざんがありましたが、それが関係している気がします。重要なことは記録に残してはいけないと官僚達が思ったわけです。もう霞が関は100%官邸支配となってしまった。
現政権はすべてが科学的な合理性や公正公平さに欠ける判断で、それに対する自己責任とか反省という発想はなく、議事録などはできるだけ作らないようにして、後日言い逃れできる余地を残しているだけです。安倍政権に正論をぶつけても暖簾に腕押し。
もうどんな手を使っても安倍政権を終わりにし、できれば自公政権も終わりにして政権交代が望ましいと思います。透明性の高い議会制民主主義を取り戻すためには、自民党のように色々と癒着や腐敗を抱えていそうな政党を一旦下野させることが必須だと感じます。