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東日本大震災10年 ―― あのときを振り返る

東日本大震災から10年。いまだに厳しい避難生活を余儀なくされている人々、とりわけ福島第一原発の影響で故郷に帰る見通しが全くつかない多くの人々が苦労しておられることに、本当に申し訳なく思っています。
10年前、私は与党民主党の幹事長でした。前年の参議院議員選挙で民主党は敗北、参議院における多数を失いました。その直後幹事長に就任した私の使命は、野党(自民党、公明党)との協力関係を深めることでした。具体的には自民党の大島副総裁、石原幹事長、そして公明党の井上幹事長との信頼関係をつくり、国会を円滑に動かすことに努力していました。


 そういうときに発生した東日本大震災。それまでに築いた自公両党との信頼関係をベースに自公両党の協力を取り付けることに全力を挙げました。震災発生直後の菅総理と各党代表・幹事長との会談で全面的に協力するとの発言をいただいた上で、「各党・政府震災対策合同会議」とその元に設置された「実務者会議」を連日開催。野党の皆さんの意見・要望が政府に直接届くようにしました。
 国会においては関連法案や補正予算の成立が急務。いろいろな経緯はありましたが、野党の協力をいただき通常国会会期中に2回の補正予算、32本の関連法案を成立させることができました。
 国対・政調ベースの協議に加えて、幹事長レベルや大島副総裁との信頼関係ができていたことが大きかったと思っています。その過程でそれまで民主党の目玉政策を3Kバラマキ等と批判してきた自公両党の要請も踏まえて、子ども手当の名称の変更、高校授業料無償化に所得制限を導入、高速道路無料化実験の被災地限定などを幹事長として決断しました。補正予算の財源確保という側面もあり、また名を捨て実をとるもので、いまでもあのときの判断は間違っていなかったと思っています。

 順調に思われた与野党協力ですが、6月に入り内閣不信任案が自公両党から提出されました。更に民主党の中にも不信任案に賛同する動き。結果的には圧倒的多数で否決したのですが、薄氷を踏む思いでした。多くの国民が苦しんでおり、与野党一致で困難に立ち向かってきたと思っていた私には理解に苦しむことでした。野党はその後も財政特例法の成立にも反対し、菅政権は赤字国債が発行できず、公共事業以外の施策を前に進めることができない状況に。最後まで苦しめられました。率直に言って国民不在だったと思います。
 3月11日の震災発災から9月2日の菅総理退陣までの175日間、次々におしよせる難題の連続でした。やるべきことはやったとの思いはありますが、私の政治家人生の中でも最も密度の濃い日々でした。

 幹事長時代は、週末ごとに被災地を訪ねて、多くの被災者の皆さんと対話を続けてきました。いま、福島を除けばハード的な対応はかなり進んだと思いますが、そこに生活する人々の苦しみは続いています。これからも当時の関係者として被災地にしっかりと関わっていかなければならないと思っています。



コメント
  1. むろけん より:

    当時与党であった民主党は全力で対応してくださったと思います。
    ただ一つ残念だったのは、菅首相が福島第一原発へ赴いてしまったことは失敗だったと感じます。
    首相が発揮すべきリーダーシップとは、そういうことではないのでは?と多くの国民が疑問を呈しました。

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