ケニア訪問報告(2.活動報告)
7月31日(月)
中部国際空港からドバイ経由でケニアのナイロビに着。高地にあるため思ったよりはるかに涼しい。
さっそくUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の関係者から、ソマリア、スーダン南部からの難民について話を聞く。
夜は三重県出身の宮村大使が在ケニアの日本人に声をかけていただき夕食会。UNHCR、NGOいずれも日本人女性のパワーを改めて感じる。
8月1日(火)
キブワナ環境大臣、アウォリ副大統領と意見交換。
日本の援助は日本の納税者の負担によってなされており、腐敗の問題が解決しないと援助に国民の共感が得られない旨、私から指摘。
エイズの問題については解決しつつあるとのやや楽観的見方が示された。本当だろうか。
午後はMGO「セイブ・ザ・チルドレン・センター」の菊本さんの案内で、ナイロビのスラムを歩く。スラムの自立支援活動を続けてこられた地道な努力に脱帽。NGOの奨学金で大学を卒業した青年が、スラムの改革に取り組む姿は感動的だった。
8月2日(水)
ケニア第5の都市キスムの公立病院訪問。設備や薬の不足は深刻。
霊安室には30体以上の遺体が丸太のように積まれていた。死因の50%がエイズで、既に制御の範囲を超えているとの院長の説明は、前回のナイロビでの政治家の話とは全く違っていた。
午後からは、NGO「少年ケニアの友」の岸田さんとともに、少年サッカーの試合観戦。エイズを食生活と薬で克服しつつある女性達との交流。浄水プロジェクト、日本型のかまど普及プロジェクトなど視察。一つのNGOがこれだけ幅広く活動していることに驚く。
車とフェリーで4時間かけて夜10時ホテル着。電気なしの中で蚊取り線香を二つたいて寝る。明日はいよいよ島へ出発だ。
8月3日(木)
10人乗りボートでムファンガノ群島へ出発。ビクトリア湖は湖とは言え四国の十倍規模。まさしく海という感じ。
まず、タカウィリ島で小学校を訪れる。人口約300人の島で50%超がHIVポジティブで、80人の子ども達にもかなり孤児がいると言う。
次の目的ファンガノ島では、カトリックの牧師と議論になる。コンドームを使うことを奨励することは、不道徳なセックスを認めることになるとの説明に納得できないものを感じる。
最終目的地リンギッティ島に夕方着。小学校など視察。上下水道なし、病院なし、電気も夜に一部だけ。6,000人の人口で大部分が漁業。獲れた魚の一部はテラピアとして日本に輸出されていると言う。男性の34%、女性の47%がHIVポジティブとのこと。薬も届いていない中、貧しさゆえの売春が当たり前で、極めて深刻な状況。しかし人々は、温かく穏やか。ただし現地の人々が心配して、警官二人をホテル(小屋)に徹夜で配置してくれる。
8月4日(金)
朝から海が荒れ、午前中の訪問予定の二つの島行きをキャンセル。子ども達と遊ぶ。本当に可愛い子ども達だが、HIVのリスクは彼等にも迫っている。三日月、森本両議員や岸田さんらと雑談しながら海が安定するのを待つ。
慎重に判断した上で出発。10人乗りのボートなので、雨が降ったり、波が高くなったりすると危ない。何とか無事に60分かけて前日出発した港に帰り着く。
キスムへの途中に、岸田さんのNGOが奨学金を出している少年に会いに行く。おばあさんと少年二人が粗末な小屋に住む。両親は数年前に相次いで亡くなったと言う。HIVの可能性が高い。妹二人はいなくなったと言う。少年達を育てるために売られてしまったのではと思ってしまう。貧困こそがすべての根源との思いを強くする。しかし、二人の少年はいずれも村のために医師を目指すと明るく言う。目が輝いている。
アフリカのために日本ができることは沢山あると思う。同時に、頑張っている日本人の姿に本当に感動させられた一週間だった。
8月5日(土)
夕方の飛行機までの時間を利用して、午前中、ナイロビ市内の国立公園へ。短い時間ながら、ダチョウ、シマウマなどの野生動物を見ることができた。
昼食は通訳のウォルターさん経営の現地サラリーマン向け食堂で最後のケニア料理。トウモロコシやキビの粉でつくった食事や野菜がおいしい。そういえば、イランでもパキスタンでも食事がおいしく感じられた。胃袋の強さには自信を持ってもよさそうだ。
8月6日(日)
おかげさまで健康のうちに、無事帰国。しかしNGOの岸田さんと現地に残ったスタッフが腸チフスになったと後で聞いた。気をつかわせてしまったかと申し訳ない気持ちになる。